宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

自由・平等・博愛の本義
―天王星と土星のある関係―

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「自由・平等・博愛の本義」なんて、なんか堅っ苦しいタイトルですが…。
宝瓶宮時代に重要なこれらの事柄を、正しく理解しなければ新しい時代に適応できません。
意外なことに、正しい自由・平等・博愛の実践には、土星の裏付けが必要なのです。

双魚宮時代の解釈と宝瓶宮時代の解釈の違い

フランス革命

ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」。王政復古のあと、1830年再燃したフランス革命(7月革命)を描いたもの。

●第1稿 : 2006年11月20日アップ

「自由・平等・博愛」というのは、ご存じ18世紀末に起こったフランス革命のスローガンです。宝瓶宮時代の影響が、17世紀あたりから人類歴史に現われはじめたことは、「宝瓶宮時代と占星術」や「近未来運と近未来予測」でも述べました。水瓶宮時代の象意であるこの「自由・平等・博愛」は、双魚宮時代の対立二元論で解釈すると間違ってしまうのです。

《 教育現場で誤用された自由・平等・博愛 》

学校教育でも、自由・平等・博愛は重要視されます。
その理由は、これが近代人類の基本的な価値基準になっているからです。
ほぼ同時代にイギリスでも起こった「人権」という言葉に言い換えても、そう間違いではありません。
もう一つの理由は、日教組というか、共産主義が革命のため、かつて学校教育の現場で、子供たちに植付けようとしたからです。
フランス革命は、絶対王権を持つ国王に対して、国民が自由や平等や権利を求めて、国王をギロチン(斬首台)送りにしたものです。
当時、国王の権力は、国王の先祖が神様から授けられたものである(王権神授説)という宗教的権威を装っていました。
それほど宗教の力が強かった時代です。
このように、権力に対する反体制、宗教権威の否定、血による革命とくれば、暴力革命を推進した共産主義運動と同じ構図です。
かつて共産主義は、資本家(権力)や宗教権威を、人民を搾取(さくしゅ)し、惑わし、奴隷化する悪として、「立て万国の労働者」と鼓舞して一世を風靡(ふうび)したものです。

One-Point ◆ 双魚宮時代は、「宗教」や「思想」が時代をリードしました。それは双魚宮(魚宮)の共鳴星(木星→海王星)が「思想・宗教・幻想」を意味しているからです。これは容易に「欺瞞」に変わります。欺くのは双魚宮時代の権力者の常套手段です。昨今の官公庁や教育者や古い意識のままの経営者が、すぐに隠したり誤魔化そうとするのは、その名残りでしょう。もう、バレる宝瓶宮時代なのですが…。


実生活に役立つ占星学の解釈

●「自由・平等・博愛」の捉え方や、その実践を含めて、宝瓶宮時代が進むにつれて土星が関わる事柄は、ますます重要になります。天王星の象意を正しく発現するには、土星が基礎になる部分が多々あるからです。
西洋占星術では「凶星」として汚名を着せられた土星ですが、宝瓶宮時代の到来とともに、見直されていきます。宝瓶宮占星学では、いくつかの星を共鳴関係で捉えることで、より現実的な解釈やリーディングが可能になると考えています。

《 古い対立二元論から新しい共鳴関係論へ 》

さて、新しい宝瓶宮時代の象意である「自由・平等・博愛」は、新しい時代の解釈で捉えなければ間違ってしまいます。
双魚宮時代や共産主義的な「対立二元論」で捉えると、間違った自由・平等・博愛になるのです。
どういうことかというと、権力などと対立する自由、横並びの悪平等、過保護の博愛に陥りやすくなります。
そんな影響を当時、マスコミや日教組から受けた人々が、正しい認識に転換しきれないまま、今、親になったり教育に関係しています。
宝瓶宮時代の感性を生まれながらに持った平成の子供たち(※注)は、そんな親や教師に違和感を受け、お互いに理解しあえないまま、さまざまな家庭問題や学校問題を起こしています。
では、どうしたら良いかというと、土星の特質を実践しなければなりません。
「え? 水瓶宮の支配星は天王星なのに?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
中にはピンときた方もいる思います。
伝統的に水瓶宮の支配星とされてきたのは、「土星」です。それがトランスサタニアン発見以後、現代占星術では「天王星」に変わりました。土星は水瓶宮の副星という位置づけになりました。
そのため、宝瓶宮時代の象意である「自由・平等・博愛」を正しく発現するには、土星の象意の裏付けが必要なのです。
これは海王星と木星の関係にも適用できますが、本論からズレますのでここでは触れないでおきます。

※注:宝瓶宮占星学では、宝瓶宮時代のビッグバンが1989〜1990年に起こった、と星の動きからリーディングしています。日本ではちょうど、平成元年にあたるので「生まれながらに新しい感性を持っている」のです。詳しくは「近未来予測=基礎編」をご一読ください。

One-Point ◆ 占星術(占星学)に関心のない方が読まれていたら、ゴメンなさい。いちおう「宝瓶宮占星学」という項なので、星の象意と実際の解釈の関係について述べています。次からは「自由・平等・博愛」の正しい解釈を宝瓶宮占星学の観点からご紹介します。


フランス革命の自由・平等・博愛

●「自由」と「平等」を俎上に乗せて、お互いに矛盾する概念だ、など批評する方がいます。また、フランス革命の「平等」が、身分や納税の不平等に端を発したため、経済的に解釈される方もいます。対立二元論や読みが浅い即物的な捉え方ですね。
で、「自由・平等・博愛」の正しい解釈ができるよう、誤解なきよう書いておきます。フランス革命に「自由・平等・博愛」があったのではありません。無かったから起こったのです。それを正しく捉え、実現していくのが宝瓶宮時代です。

《 自由の本義−土星の象意「秩序」と相手の自由 》

世間一般に「自由には、責任が伴う」というのは、よく言われることです。
そのとおりです(「責任」も土星の象意の一つですから…)。
本当の自由は、我がままや勝手気ままといった「放縦」とは違うということはご存じでしょう。
宝瓶宮占星学の解釈は、「自分の自由だけでなく、相手の自由も認めて行動しません?」という関係性で捉えます。そのほうが、時代の感性に即しているからです。
どういうことかというと、個人の枠内で「責任が必要」と捉えるだけでなく、他の人との関係性で自由を捉えることで、矛盾のない自由社会が見えてくるからです。
傍若無人な振る舞いや、自分勝手な放縦は、本人にとっては「自由」であっても、他の人の自由を侵害してしまうので、正しい自由を築けません。
他の人との関係性による「秩序」が伴わなければ、本当の自由社会は実現できないのです。
人のいない無人島では、責任なく自分勝手に行動しても、一応自由であることからもお分かりでしょう。
宝瓶宮時代=天王星の象意「自由」は、土星の象意「秩序」の裏付けがなければ得られないのです。

One-Point ◆ 双魚宮時代は物事を対立二元論で捉えました。これに対して宝瓶宮時代は、自立した両者の共鳴関係で捉えます。同じ二者でも、自他相反(対立)が双魚宮時代の解釈なのに対し、自他の自立共存(共鳴)が宝瓶宮時代の解釈です。これが双魚宮時代と宝瓶宮時代のもっとも大きな違いです。占星学も、西洋占星術の主流である対立二元論の吉凶解釈から、宝瓶宮占星学の共鳴解釈に変わらなければ、時代の実状に合ったリーディングができなくなります。


儒教的価値観の画一化教育

●受験戦争を優先する教育は、学力に合う個性しか認めません。それは子供たちに均一化を強いるため、合わない生徒はストレスを抱き、全体はいびつに歪んでいきます。
学業に適性がないだけで「落ちこぼれ」と決め付けたりしますが、「落ちこぼれ」とは、個性無視の非人間的な考え方です。学問に合わない個性というだけで評価し、その子の本来の個性を潰してはなりません。そんな学力重視の儒教的価値観に基づいた、画一化教育は、「自由・平等・博愛」に反するので問題を生んでいくだけです。

《 平等の本義−土星の象意「責任」を果たせる環境 》

平等というのは、ご存じのように「同じであること」とは違います。
また、均一ということでもありません。
物事は、同一や均一になってしまうと、変化が止まるため、成長や発展といったダイナミズムがなくなってしまいます。
そんなものを子供の成長を促す学校教育の現場に持ち込んではいけません。
部分的に不均一だからこそ、そこに変化や運動が生じるのです。変化があるから学びがあるし、学ぶから成長します。
人間の顔や姿形や性格が、もし、みんな同じ均一だったら、それはもう規格品のアンドロイド(ロボット)です。
それは、個性も、発展も、成長も、喜びもない、平等以前の状態です。
ですから、平等とは、個々人の個性(違い)が充分に発揮できる状態をいいます。
自分自身にふさわしい性質や能力を、充分に発揮できる場こそ平等なのです。
同一を強いる横並びのゴールインは、けっして平等ではありません。
本当の平等とは、個々人に与えられた天与の個性を、本人が高めことができる「責任」と「使命」を果たせる環境を提供することをいいます。
宝瓶宮時代=天王星の象意「平等」には、土星の象意「責任」と「使命」の意識が必要です。
また、いくら平等な環境が与えられても、土星の象意を持たなければ意味がありません。

One-Point ◆ 脚の早い人は早くゴールインし、苦手な人はビリになります。そのどこが悪いのですか? そういう環境を与えてこそ、子供たちは自分の性質や個性や適性を学んでいきます。「1位が良い、ビリが悪い」という対立的な価値観は、もはや双魚宮時代の悪弊です。1位も個性、ビリも個性です。順位ではなく、人間を見て、個性を認めて、自由と博愛の心を身に付けなければなりません。


教育者にも必要な土星の象意

●学校や家庭の教育において、「秩序」が必要なのは当然ですが、子供たちが自らの「責任」を果たせる環境や「主体性」を尊重しなければならないということは右で述べました。
親や教育側がそれを実践するにも、土星の象意が必要です。親や教師が「実体」をもって、「忍耐」強く、「真面目」に対処してこそ、平成生まれの子供たちは、宝瓶宮時代=天王星の象意である「自由・平等・博愛」を正しく身に付け、正しい友愛精神を発揮します。そこにイジメや不登校はなくなっていくでしょう。

《 博愛の本義−土星の象意「孤高性」の尊重 》

最後に博愛です。
博愛は一般に、「すべての人を等しく愛すること」とされています。
それは間違いではありませんが、「平等」といっているだけであって、個々人に対してどう対応することか、という肝心の内容が抜けています。
博愛(=ひろくあいすること)は、「甘やかし」ではありません。
その人のことを考えて、「厳しく」することも博愛ですし、黙って「無関心」で自らで悟らせるのも博愛です。ときには「手助け」をするのも博愛になります。
博愛とは、相手の成長を慮(おもんばか)って、ふさわしく対処することなので、一つの決まった行動を指す言葉ではありません。
逆に、むやみに口を出したり、やたらとお仕着せをする行為は、主体性の侵害であって、博愛ではないのです。
博愛は大きく心の問題であって、相手の責任は、その本人にしか果たせないことを知らなければなりません。
未熟でも、相手の責任を尊重して、任せてみる心がなければなりません。
博愛とは、根底に、相手の主体的な判断や経験による「学びの機会」を尊重し、奪わない心が必要です。
相手からみれば、「自己の弧高性(尊厳性)」を守って対応してくれることです。
本当の博愛とは、自分の考えや方法とは違う、相手の「自立性」や「主体性」を尊重し、個性や人格の成長を促し見守る、少し離れた心を持つ関係性が必要です。
この「主体性」や「孤高性」が、土星の象意だと気付けば、宝瓶宮時代=天王星の象意「博愛」には、土星の象意を大切にする意識から生まれることが分かります。

One-Point ◆ もともと日本語とは異なった「愛」という言葉です。「彼がいないので愛(かな)しい」「亡くなった人を愛(お)しむ」が古来の使い方です。現代人は「慈愛」と解釈しがちです。「博愛」は、愛情はあってもクール。秩序を伴う「自由」や、責任を果たす「平等」と矛盾しないものです。自由・平等・博愛は、お互いに損なうことなく実現できてこそ本物です。

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