宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―

祝詞:とほかみえみため
― 「かんながら」との関係性から推測 ―
[建国記念の日特別編その2]

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「とほかみえみため」の真意はどこにあるのか

●第1稿 : 2023年 2月 9日アップ


天皇陛下が毎日、40回唱えている祝詞「とほかみえみため」。

いくつかの流派があるのか、あれこれ意味が解釈されています。

どれが本当でしょうか?

古来からの大自然を「かみ」としてきた日本的霊性(日本精神)から、どのような真意をもつのか、それぞれに解釈があってもいいのですが、探ってみました。

ご興味のある方はご一読ください。

《 「十神、笑み給え」だって? 》




「と・ほ・か・み・え・み・た・め」

現代人には意味不明です。

意味があるとしても古代の言葉なので、現代語とは異なります。

文献で確認できるかぎりでは平安時代からあるそうです。

古代語を現代語として解釈しようとすること自体に齟齬が生じます。

一般に見受けられる解釈は「十神、笑み給え」でしょう。

ありえない解釈です。

One-Point ◆ どのようにご解釈をされようと、本心から信じ込んで行なえば、相応のことは起こりえます。何ごとも真剣に信じ込んで行なうことができれば、超常的なリアクションが起きることがあるためです。ただし真実かどうかはまた別のお話です


《 出雲の幡屋神社では 》

「とほかみえみため」の解釈にご自分なりの信念をお持ちで変えたくないという方は別のページをご高覧ください。

以下は「十神、笑み給え」って違うでしょという、疑義となった根拠です。

疑義:その1

なぜ、十の神? 日本で八百万の神とされるその代表神なの?

疑義:その2

由緒ある出雲の幡屋神社では「とほか みえ、みため」と区切って奉唱します。

とほかみ(十神)、えみため(笑み給え)ではないのです。

One-Point ◆ 漢字だと「吐菩加身依身多女」と表記します。これは発音文字として単に漢字をあてたものなので意味はありません。古来から言霊として奉唱されてきたものなので、「と・ほ・か・み・え・み・た・め」の一音一音に意味がありそうです。


追記「遠津御祖神」23.02.09

●「とおかみ…」が、「十神」を表わすという解釈はマユツバです。

ですが「遠津御祖神」(とおつ みおや の かみ)を表わすというご説明は、充分に妥当性が認められます。

遠津御祖神は、『古事記』にも『日本書紀』にも記されていません。

ですが、祖々先霊神(みおやよよのおおかみ)に類する“ご先祖さまのさらなる祖の御霊”といった解釈が可能です。

「津」を単に「~の」ととらえるか、港などのように海にかかわるものとしてとらえるかで、大きく異なります。

ちなみに、鹿児島県の姶良市にある楠田神社のご祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめ の みこと)らとともに「祖々先霊神」が祀られています。


《 「大自然に座す(います)」 》

疑義:その3

「とおかみえみため」と一気に奉唱するのではなく、「とーほーかーみーえーみーたーめー」と一音一音をハッキリと区切って行なうという説もあります。

また、別の説では、との尊、ほの尊、かの尊…というように、一音一音が貴いお方(命、尊)を表わすと解釈されます。

真偽はともかく、古代の言霊ですので、「と」に一つの意味があって、「ほ」に一つの意味があり、「か」に一つの意味があるといったように、それぞれに意味を持つ8つの文字が一つのまとまって大きな意味を表わすようです。

アバウトでいえば“大自然に座(いま)す”といったような意味で、「恵まれた大自然の中に住む私たち」といったような感謝を念頭に、日々忘れずに奉唱を捧げるといった解釈が適切ではないでしょうか。

One-Point ◆ ご関心のある方は「とほかみえみため」と奉唱されつつ、ご自分の感性にいちばんしっくりとくる解釈を選ばれてみられるのもよいでしょう。

《 そのときどきのままに 》

「かんながら」や古神道の観点からみても、“ご利益信仰”や“要求”(願い事)をもって奉唱することはありえません。

「十神、笑み給え」という解釈には、そんな要求や命令さえ感じとることができます。

それはともかくとして、唱え方は、一気に「とほかみえみため」と奉唱してもいいし、出雲流に「とほか みえ、みため」と区切って奉唱されてもいいし、一音一音「とーほーかーみーえーみーたーめー」と奉唱してもいいと私たち一般人においては考えられます。

情況に応じていろんな唱え方を交えて、感性のままに行なってもよく、抑揚をつけて奉唱されてもいいし、平坦に奉唱されてもよく、そのときどきのご自身の意のままに想いのままに試されてみられればいいと存じます。

なぜなら、多様なる大自然だからです。

「こうあるべき」と決めつけずに、その日そのときの状態や感覚に呼応されて、ご自身がいいなと思われる方法でしぜんに奉唱されるのがよいでしょう。

One-Point ◆ 禅に「只管打坐」(しかんたざ)という言葉があります。何も考えず、思いもせず、ただ座るという意味です。禅は「無」を標榜しますが、座禅をしよう、無になろう、という想い自体が、すでに無ではなく矛盾するからでしょう。


《 勝手に解釈してみた 》

最後に「とほかみえみため」の意味について、勝手ながら解釈を述べておきます。

「と」という言霊は、古来は扉や入口を象わし、「ほ」は、炎や火すなわちここでは太陽ことお日さま(お天道様)を象わし、「か」は、彼方(かなた)また相手をかの人というように、ここではかみや祖先など源流を象わします。

「み」は、そのご身体で、余談ですが古代日本で“かみ”という場合“彼の身”、すなわち目前にはいませんが、かつて知りたる友や親のようなともにあった親しみのある存在を象わすことになります。

次に、「え」は、取っ手などの柄ぐらいしか思いつきませんが、「~へ(ゑ)」といった道筋や関係性を象わし、2番めの「み」は、果(か、み=霊:ひ)で自分自身の本来の実体を象わす言霊といった推察ができます。

「た」は、田んぼなど大地(たいち:大自然)を象わし、「め」は、見るとか愛(め)でるといったご確認や受け入れる言霊だと解釈できますので、これらをつなげると「大自然に居て恵みを受けている私たち」といったありがたい祝詞だという意味がみえてきます。

今となっては真相が確認できない以上、分からないものは分からないままに奉唱されてみて、そのときどきでしっくりくる解釈を試されればいいのではないでしょうか。

自分の気持ちを無理に曲げてしまうと、良し悪しは別にして、気づかずに深層の精神意識を自分で歪めてしまうことがないとはいえないからです。

One-Point ◆ 西洋のような人格神といった神観は、古代日本にはありませんでした。なので日本的霊性によって感じとるのがよいでしょう。大自然をかみから在る美しく尊崇できる共鳴関係にあるものとして、しぜんに唱えればいいと想います。






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