体験的シラケ世代論

《 ブレ続ける「シラケ世代」の解釈 》

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
しらけ世代とは、1970年代に成人した世代で、新人類以前の1970年〜1977年頃に成人した世代(1950年〜1957年生まれ)を指すことが多い。
と記されています。
一方で、同じ『ウィキペディア(Wikipedia)』でも、
しらけ世代とは、1970年代後半に成人した世代を指す語である。但し、現在ではほぼ死語である。1950年代後半(1955年〜1959年)に生まれた世代に当たる。
とする説がアップされることもありました。
実は、この両者が自説を争って互いに譲らず、交互にアップ(編集合戦)され続けていたため、『ウィキペディア(Wikipedia)』の表記がコロコロと入れ替わる現象が起きていたのです。(2009年4月現在)
両説の大きな違いは、1950年〜1954年生まれを「しらけ世代」に含めるか、それとも「ポスト団塊世代」として、独自に規定するかということです。
(「ポスト団塊の世代」は、『ウィキペディア(Wikipedia)』では現在、未編集です)
で、「シラケ世代」当事者としては、どう解釈すべきか、「体験的シラケ世代論」と、占星学からみた「シラケ世代」の解釈を書いておきます。
だって、『ウィキペディア(Wikipedia)』にリンクしたって、コロコロ内容が替わっているんじゃ、信頼がおけないモンね。
※4月21日付記:この記事がアップしたのと同じ日、ついに「編集保護」になりました。


《「世代」の定義をどこに置くのか? 》

なぜ、上記のような解釈のブレが生じるかというと、一つは「世代」の定義が曖昧だからではないでしょうか?
「団塊の世代」という場合、1946年〜1949年の戦後ベビーブームという「出生年次」を世代の根拠を置いているため、ハッキリしているので揉めることは、ほとんどありません。
しかし、「しらけ世代」という場合、1970年代に生じた「世相」を世代の根拠を置いているため、それを「出生年次」に置き換えるときに、どこまで含めるかで揉めてしまうのです。
具体的にいえば、「世代」を出生年次で、例えば1949年生まれまでは「団塊世代」、次の1950年生まれからは「しらけ世代」、その次の1960年生まれからは「新人類世代」…と、直線的に区分する手法に課題があるともいえます。
「しらけ世代」のように「世相」を根拠にする場合は、出生年次が他の世代区分と重なることもあるので、並行して適応させないと実際にそぐわなくなるということです。


《 で、体験的「シラケ世代」論を語ろう 》

で、当事者として「シラケ世代」を体験的に語れば、1970年代当時は、「団塊の世代」の先輩たちであっても「シラケた〜」という言葉を使っていましたし、年下の学生たち1960年代生まれであっても「シラケた」という言葉を使っていました。
もちろん、1950年代生まれの私たちも、「どっチラケ〜♪」といって笑ったり、誰かが的外れなことを言うと、「あ、シラケ虫が飛んでるぅ〜」などと茶化して、空(くう)を指差していた記憶があります。
「シラケ世代」というは必ずしも「出生年次」ではなく、1970年代に「無気力・無感動・無関心」といった個人主義やマイホーム主義の考えをもった多くの人々のことを、本来は指します。
「団塊の世代」の人々であっても「ノンポリ」はいたし、「シラケ世代」と呼べる人々は案外といました。
誰もが知っている人を例に挙げれば、1946年「団塊の世代」生まれの吉田拓郎が、「旅の宿」(1968)や「結婚しようよ」(1971)を、「浴衣のキミィ〜は♪」や「ボクの髪ぃが〜♪」などと歌っていたとき、一部のフォークシンガーからは、「軟弱だ!」と非難されていました。
なぜ軟弱なのか、私には分かりませんでしたが、どうやら政治的なメッセージの歌詞ではなく、「シラケ世代」に通じる個人主義的な恋愛をモチーフにした歌詞に理由があったようです。
私たちにはあまりにも当たり前の歌詞であって、なぜ軟弱と言われるのか、感覚的にまったく理解できませんでした。


《「団塊の世代」や「新人類世代」と並列に 》

同じような例をもう一つ挙げれば、1948年生まれの井上陽水も「傘がない」(1972)を歌っていました。
「♪都会では自殺する若者が増えている、だけども問題は、今日の雨、傘がない…♪」
「わが国の将来の問題」よりも、自分に傘がないことのほうが一番の問題だと歌うこの歌詞は、まさに「シラケ世代」を的確に歌ってヒットした世相的名曲です。
ここからいえることは、「団塊の世代」とされる吉田拓郎も井上陽水も、個人主義的な「シラケ世代」を歌で表現したリーダーであり、1950年代前半生まれの私たちもまた、彼らに共感してフォークギター片手に青春時代を送ったという事実です。
このことは、後述する占星学的な星の解釈からみても納得できます。
結局、「シラケ世代」というのは、「団塊の世代」とされる一部の人々を含めることもできるし、1950年代前半生まれはもちろん、また1950年代後半生まれの人々も「シラケ世代」に含めることができそうです。
そういうふうに「世相」に根拠を置く「シラケ世代」は、「団塊の世代」の一部ともダブるし、次の「新人類世代」とも一部でダブるというのが、現実的にも占星学的にもいえるということです。


《 で、占星学的に解釈するとどうなるの? 》

「シラケ世代」というのは、実は「マイホーム主義」を嚆矢(こうし)とします。
「マイホーム主義」というのは、政治や国家や会社よりも、自分の家庭(マイホーム)を第一義にする価値観を持つに至った人々です。
今では当たり前になってしまいましたが、お国大事といった全体主義の名残りお家(会社)大事の風潮が当たり前だった当時、マイホーム主義は「異端視」されることもありました。
マイホーム主義が定着してしまった現代では、「一軒家を持つ」(笑)、といった別の意味で使われることがあるようです。
西洋占星術を含めた占星学的にいうと、「マイホーム主義」は、天王星が「蟹宮」を運行した1948年〜1955年生まれの人々が持つ世代的な象意です。彼らが家庭を持つことによって、具現化していきました。
それゆえ、占星学的には、この1948年〜1955年生まれが「シラケ第一世代」になります。
ただし、天王星が次の「獅子宮」を運行した1955年〜1961年も、「非権力志向」や「無権力志向」、また「超権力志向」の象意を持ちます。全体よりも個人の実現を重視することのある世代です。
それゆえ彼らも「シラケ第二世代」といえなくはありません。
結局、「シラケ世代」をあえて出生年次によって区分すれば、内実は二分されるものの1948年〜1961年生まれというのが、占星学的な解釈になります。もちろん、現実的には多少のブレが生じてしまいます。


《 ジェネレーション・ギャップは「しらけ世代」の真ん中にある 》

重要なのは、天王星が「蟹宮」から「獅子宮」に完全移行した1956年は、実は、海王星も15年運行していた「乙女宮」から「天秤宮」に移行しはじめました。さらに、冥王星もまた20年運行していた「獅子宮」から「乙女宮」に移行しはじめたのです。完全移行は1957〜8年になります。
社会的な影響や世代的な象意を意味するこれらトランス・サタニアン(天王星・海王星・冥王星)が、ほぼ同時期に次のサイン(宮)に移ったために、そこに世代間の断層(ジェネレーション・ギャップ)が存在します。
何をいいたいのかというと、1956年(正確には1957〜8年)以降に生まれた人々は、それ以前の人々とは、かなり違った考え(価値観)を持って生まれることになるため、「新人類」と座視される素因を持つことになるのです。
学問的な「世代」の規定はともかく、占星学的には、「シラケ第一世代」と「シラケ第二世代」のど真ん中、すなわち1956〜8年から徐々に「新人類世代」が生まれはじめ、数年を経ずして大多数を占めるようになったといえます。
ご参考までに、1956年以前の「獅子宮」の冥王星は、「覇権(全体主義)」を意味するため、第二次世界大戦に関わる象意を持ちます。
一方、1956〜8年以降「乙女宮」に移った冥王星は、「個人主義的」なパーソナリティを一面において持つために、全体主義とは違ったゴーイング・マイ・ウェイ的な生き方をしやすくなります。
もちろん、それぞれ100%、全員が…、という意味ではありません。
冥王星の時代的な影響については、後日、項を改めて書くことがあるかもしれません。



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