宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

連載 占星学から解く日本の原点
参考:神話「三種の神器」の史実
− 宝鏡と神剣の「二種の神器」 −

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歴史の原点にたちかえって「三種の神器」をお伝えいたします。
誤解があり、神話と事実がゴッチャになっていますが、
『日本書紀』をよく読めば、すべての問題は解決できてしまいます。

歴代天皇紀(帝紀)には「宝鏡」と「神剣」しか記されていない

↑ 天皇の「御璽」(上)と同「国璽」(下)の印影。いわゆる狭義の「神璽」。


●第1稿 : 2017年 6月27日アップ




おことわり
※本連載は、一段落した時点で、内容確認とリライトをいたします。
そのため、場合によっては、内容の一部が変わることがありますので、あらかじめご了承ください。

天皇の即位は「神璽等継承の儀」をもって行なわれます。
いわゆる天皇の“みしるし”となる「三種の神器」の継承で、三種(みくさ)の神器(かむだから)は、今でこそ実在しますし、『日本書紀』の「神代」に記されているために、古代から「三種の神器」だったかのように勘違いしています。
しかし、歴史として“記録”されているのは、宝鏡と神剣の「二種の神器」です。


《 史実は「二種の神器」 》

ということで、「三種の神器」には、どんな意味があるのでしょうか?
それがみえてくれば、歴史がみえてきます。

歴史学者でも諸説があり、正確なところは不明とされます。
“真偽不明”の理由を申し上げますと、『日本書紀』に記されるとおりに、皇祖「天照大神」が孫の「瓊瓊杵尊」(ににぎの みこと)に、「天孫降臨」に際して「三種の神器」をさずけたと信じているからです。

この出来事は本当でしょうか?

『日本書紀』に書かれているのは事実ですが、史実ではありません。

もし、本当だというのであれば、天上かどこかに「高天原」があって、「天照大神」なる神さま(人物)が実在し、天孫「瓊瓊杵尊」がこの地上の葦原中つ国に「降臨」したことを証拠をもって裏づけなければ、最初から“天上”かどこかの高天原に「三種の神器」があったということにはなりません。

そうではなく、「天孫降臨」のお話は7世紀〜8世紀の『日本書紀』の編纂にあたって、創作された「神話」です。
なぜ、そういえるのかというと、第41代「持統天皇」から、孫の第42代「文武天皇」に譲位することを“正当化”するのと同時に、それ以上に唯一の「三種の神器」の継承によって“万世一系”を不変のものとするためだからです。

なので「三種の神器」は、実際には第42代「文武天皇」をもってはじまりました。
つまり、文武天皇の即位にさいして「八尺瓊勾玉」(やさかにの まがたま)が加わり、「三種の神器」となりますが、もしそうでなくても『日本書紀』奏上の720年までに「三種の神器」が誕生しています。

事実、『日本書紀』によると、持統天皇は「二種の神器」でもって即位をしています。
それだけではなく、神話の「神代」はともかく、歴代天皇紀には、数か所にしか記されませんが、宝鏡と神剣の「二種の神器」による即位しか記されていません。

このことを理解できないと、「三種の神器」の意味もルーツもみえてこないのです。


One-Point ◆ 当記事は「宝瓶宮占星学のクオリアルな観点からの過去・現在・未来のホロスコープ」に掲載した「三種の神器」に関する記事を再構成したものです。「歴史」というのは、単なる過去のお話ではなく、現代日本人の「民族性」や「国体」につうじるバックボーンとなっており、また未来につなぐ重要な意味があります。「三種の神器」は、その根幹にかかわるキー・ポイントです。


《 唯一の天皇の“みしるし” 》

さて、誤解されたり、疑問視するかたもいると思いますので、ご質問です。

『日本書紀』の中に「三種の神器」は何か所出てくるでしょうか。

ちなみに「三種の神器」というのは、単なる「鏡・剣・玉」をもって“三種の神器”とはいいません。
天皇の“みしるし”なので、あくまでも固有の鏡と剣と玉のことです。

具体的には、「八咫鏡」(やたの かがみ)、「草薙剣」(くさなぎの つるぎ)、「八尺瓊勾玉」(やさかにの まがたま)をもって、三種(みくさ)の神器(かむだから)といいます。

これをもって皇位の“みしるし”(神璽)とするわけです。

でなければ、そのへんの「鏡・剣・玉」をもって三種の神器だといい、だれもが「天皇」を名乗れてしまいます。
それだと皇位争いが起きるので、“万世一系”が保たれず、「三種の神器」を定めた意味がなくなります。

上記の回答は次のとおりです。

『日本書紀』の中に「三種の神器」は、1か所しか出てきません。

それも、「神代」(下)のみです。
さらには、「神代」の本文ではなく、異伝や仄聞(そくぶん)の「一書」(あるふみ)に記されるのみです。

要は、『日本書紀』の編纂者自身が「三種の神器」を正式な歴史として扱っていないのです。
『日本書紀』は、第40代天武天皇の皇子で、第47代淳仁天皇の皇父でもある「舎人親王」(とねり しんのう)が編纂の総裁をつとめました。

また、第41代「持統天皇」を支え、天武と持統の孫の第42代「文武天皇」へ譲位を成功させ、「万世一系」を定着させる手助けをした藤原不比等も「三種の神器」の創作にかかわっています。

『日本書紀』には、次のように記されています。

●『日本書紀』「神代」(下)「一書」より抜粋
そこで天照大神は、瓊瓊杵尊に八尺瓊曲玉および八咫鏡・草薙剣の三種の神器を賜った。

【原文】
故天照大神 乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊 八坂瓊曲玉及八咫鏡 草薙劒 三種寶物。

有名な「天孫降臨」の場面です。
『日本書紀』の編纂当時、“天照大神”になぞらえられた「持統天皇」から、天照の孫の“瓊瓊杵尊”になぞらえられた孫の「文武天皇」への皇位継承(譲位)を正当化し、「万世一系」を確実なものにするために「天孫降臨」神話は創出されました。

これによって、「天武」と「持統」、そして持統の父「天智」の皇統は、今日まで連綿と続き、日本の“祭祀王”の立場を確立していきます。

この男系天皇以外に“天皇はない”ことを演出した見事な計算です。


One-Point ◆ ちなみに「天皇」は専制君主でも権力者でもなく、女王「卑弥呼」と同様に“象徴”なのが特徴です。それを「権力」と勘違いして、長い歴史のなかでは奪取しようとする輩(逆賊)がいたのも事実ですが、結局のところ「三種の神器」がなければ“天皇”にはなりえませんので、そのことが文武天皇以降の皇統を磐石なものとし、日本の“混乱”や“争い”を、最小限に抑えることになりました。

《 文武天皇と「三種の神器」 》

『日本書紀』の記述は、第38代「天智天皇」と崩御後の「壬申の乱」そして第40代「天武天皇」に続いて、天智の娘でもあり天武の皇后でもある第41代「持統天皇」を最後に終わります。

※第39代は天智天皇の大友皇子が「弘文天皇」として追諡されました。ただし『日本書紀』には記されす、大友皇子と大海人皇子(天武天皇)側の「壬申の乱」として記されています。

実質の「万世一系」は、第42代「文武天皇」によって確立されましたので、『日本書紀』の編纂目的は「持統天皇」をもって達成されました。
藤原不比等が逝去したことも遠因しているのですが、いずれにしても、ここに日本の“礎”が築かれました。

なぜかといえば、「万世一系の」の“父”(1数=意志:発案)は、天武天皇で、皇后の持統天皇は、万世一系を現実化した“母”(2数=実体)です。
その万世一系を『日本書紀』「神代」の「天孫降臨」神話を創出してサポートしたのが、天武と持統の“子”(3数=関係:内)の舎人親王で、またその“パートナー”(3数=関係:外)の藤原不比等でした。

「数理法則」や「数理法則とクオリアル・ワールド」をご存じの方ならおわかりだと思いますが、このように、「1数」「2数」「3数」の「基本三数」が整うと、しぜんと「4数」が生まれ、以降、永続的に展開発展していくことが可能になります。 それが私たちの「宇宙の法則」なのです。

そのために幾度かの危機をむかえつつも、それ以降、現在まで「万世一系」が続き、日本は他国に侵略されることなく人類歴史では奇跡的に皇統が継続してきた“バックボーン”ともなっています。
要は、7〜8世紀に「三種の神器」とともに、“祖父天皇”と号する「文武天皇」に皇位が受け継がれたことが日本の礎(支柱)となっているのです。

そのような事情から、わずか14歳で即位し、在位10年で崩御された「文武天皇」ながら、その和風諡号は「祖父天皇」(おほぢの すめらみこと)と申し上げられています。

「天孫降臨」神話で、天照大神の孫「瓊瓊杵尊」になぞらえられた、実在の“現人神”が「文武天皇」だからです。


One-Point ◆ 『続 日本紀』には、文武天皇の和風諡号が記されています。707年(24歳)で崩御されたときは、「倭根子豊祖父天皇」(やまと ねこ とよ おほぢの すめらみこと)と諡号され、797年の記述では、「天之真宗豊祖父天皇」(あまの まむね とよ おほぢの すめらみとこ)と諡号されています。いずれも「祖父天皇」で、“はじまり”や“正統”であることが、ここに記された2つの諡号から読みとれます。


●宝鏡か神鏡か、神剣か宝剣か

八咫鏡は「宝鏡」と呼ぶべきでしょうか、それとも「神鏡」でしょうか。

また草薙剣は「神剣」でしょうか、それとも「宝剣」でしょうか。

ネットや出版物では、宝鏡と神鏡、神剣と宝剣の両方がもちいられるなど、案外とテキトーです。
こういうときは、『日本書紀』で確認するべきです。
『日本書紀』には、宝鏡と神鏡、神剣と宝剣が1か所ずつ出てきます。

以下、ご参考にその箇所と原文を掲載しておきます。

「宝鏡」
●『日本書紀』「神代」(下)より抜粋
このときに、天照大神は手に宝鏡を持って、天忍穂耳尊に授けて言うに…(以下略)
【原文】
是時、天照大~、手持寶鏡、授天忍穂耳尊而祝之曰…(以下略)

「神鏡」
●『日本書紀』「雄略天皇」紀より抜粋
皇女はきゅうに神鏡をもちだして(中略)、鏡を埋め首をくくって死なれた。
【原文】
俄而皇女、齎持~鏡(中略)、埋鏡經死。

「神剣」
●『日本書紀』「神代」(上)より抜粋
素戔嗚尊が言われるのに、「これは不思議な剣である」、私はどうして私物にできようか。
※講談社学術文庫『日本書紀』の訳より。
【原文】
素戔嗚尊曰「是~劒也、吾何敢私以安乎」

「宝剣」
●『日本書紀』「天智天皇」紀より抜粋
播磨国司岸田臣麻呂らが、宝剣を献上して言うに、「狭夜郡の人の栗畑の穴の中から出ました」。
【原文】
播磨國司岸田臣麻呂等、獻寶劒言、於狭夜郡人禾田穴内獲焉。

上述のように、天照大神を由来とするのは「宝鏡」で、素戔嗚尊を由来とするのは「神剣」が正解です。

つまり『日本書紀』の編者は、「宝鏡」また「神剣」とし、「三種の神器」とほかの神鏡や宝剣とは、言葉を使い分けているのです。
そのため、『日本書紀』に「中大兄」としか記されていないものを、かってに「中大兄皇子」と訳すのは、誤解をうみます。
ここには深い秘密がありますが、ご興味がある方は別記事をご参照ください。

《 「神璽」の正しい解釈 》

さて、「三種の神器」について、学者先生方が勘違いしている大問題があります。

「三種の神器」となったのは、『日本書紀』編纂の7〜8世紀です。
ですが、720年に奏上された『日本書紀』において、瓊瓊杵尊の「天孫降臨」神話が創出され、天照大神が「三種の神器」をさずけたと記載されましたので、それが「神代」の一書であるにもかかわらず“事実”だと信じていることが原因です。

そのため、『日本書紀』に「奉上神璽剣鏡於皇后」と書かれていると、“三種の神器”を皇后に奏上したと、かってに解釈します。

たしかに、「剣」と「鏡」と書かれていますので、それは間違いないのですが、“八尺瓊勾玉”がないために、「神璽」は“八尺瓊勾玉”のことをさすに違いないと憶測をし、勘違いをして公表してしまうのです。

なので、「神璽」(しんじ)と辞書でひいたり、ネットで検索すると、「天子の印、御璽(ぎょじ)」「三種の神器の総称」というのは間違ってはいないのですが、「三種の神器の一つである八尺瓊勾玉のこと」と記されていたりします。

間違いです。

“璽”というのは印のことで、「神璽」というのは、狭義の意味では、天皇の「御璽」や「国璽」すなわち“天皇印”(天子印)のことです。
要は、“みしるし”のことなので、広義でいえば、「御璽」や「国璽」を含めて、「二種の神器」や「三種の神器」など、天皇であることをあらわす“みしるし”を意味します。

690年に即位した「持統天皇」紀には、次のように記されています。

●『日本書紀』「持統天皇」より抜粋
忌部宿禰色夫知が神璽の剣と鏡を皇后にたてまつり、皇后は皇位に即かれた。

【原文】
忌部宿禰色夫知 奉上~璽劒鏡於皇后 皇后即天皇位。

現代語訳は、講談社学術文庫『日本書紀』下巻を引用しました。
「神璽の剣と鏡」というように、ここでは正しく書かれています。

『日本書紀』には、神器の記載自体が少なく、持統天皇紀をふくめて、3か所しか記されていません。
その一つは、皇統(王朝)が変わったのではないかと疑問視されている第26代「継体天皇」の即位(507年)の箇所です。

●『日本書紀』「継体天皇」より抜粋
大伴金村連はひざまづいて、天子の璽符の鏡と剣をたてまつって拝礼した。

【原文】
大伴金村大連 乃跪 上天子鏡劒璽符 再拜。

ここでは「璽符」と記されますが、やはり「鏡」と「剣」の「二種の神器」のみです。
さらに継体天皇から二代のちの「宣化天皇」の即位の記録は、「神璽」や「璽符」の記載はなく、ただ「鏡」と「剣」のみが記されています。

要は、『日本書紀』(帝紀)における即位は、記録されているかぎり「鏡」と「剣」の「二種の神器」しかありません。
それが当然です。

「八尺瓊勾玉」が加わったのは、「文武天皇」の即位(697年)以降で、そこから名実ともに「三種の神器」となり、720年に奏上された『日本書紀』の「神代」(下)の一書「天孫降臨」の場面に、あたかも由緒があるかのように記載されたからです。


One-Point ◆ “天皇”号は、統一大和の7世紀になって「天武天皇」からはじまりました。『日本書紀』はそれを過去にさかのぼって「天皇」と記し、神話の「天孫降臨」による神代から“万世一系”かのように「三種の神器」とともに“既成事実化”したものです。ですが「神代」はともかく、『日本書紀』編纂者は、帝紀である歴代天皇紀(人代)においては、史実にのっとって「二種の神器」のまま、正しく記載しています。
※「八尺瓊勾玉」を加えて「三種の神器」とするよう提言した藤原不比等は、『日本書紀』が奏上された720年、奇しくも“見届ける”かのように逝去しています。


《 「三種の神器」のルーツ 》

最後に、「宝瓶宮占星学のクオリアル…」にはそこそこ書きましたが、三種の神器のルーツについて、ひとことふれておきます。

名実ともに「三種の神器」となった7〜8世紀は、「天皇」による律令国家「統一大和」が確立していった時代です。

すなわち、「天皇」のもと、日本各地が「律令」によって運営されはじめ、独立国家となっていった時代です。
かつての九州「倭国」はもちろん、「出雲国」をはじめとした丹後国、また瀬戸内沿岸の「吉備国」や阿波国、さらには「尾張国」をはじめとした東海や関東以北の東北などが、天皇を中心とする律令国家体制に組み込まれ、統一独立国家としての体裁を整えていったのです。

その統合の象徴が「天皇」で、その“みしるし”が「三種の神器」です。
それまで、つまり7世紀までは「二種の神器」でした。

二種の神器は、次のような由来と意味をもちます。

「八咫鏡」は、“天照大神”に象徴される、いわゆる「天津神」(天孫族)による国々を治める王を象わします。

一方、「草薙剣」を所有する者は、“素戔嗚尊”が退治した“八岐大蛇”と、そこにかかわる「国津神」の国々を治めた王を象わします。

いずれも詳細なご説明は省略いたしますが、要は“神武東征”による国譲りをうけて、「八咫鏡」と「草薙剣」の両方を所有する者が、大和(天津神の国+国津神の国)を治める「天皇」(大王)であることを象わす“みしるし”(神璽)となったわけです。

それゆえ最初は「二種の神器」でした。

その後、7世紀に統一大和が成立すると、それをうけて、「八尺瓊勾玉」が加わり、「三種の神器」になります。

三種になった理由は、過去の国や大王とは異なり、全国規模の「天皇」となっために、その神威を象わすためでもあり、また「三種」とすることで、皇位の“みしるし”をより確かなものにして「万世一系」をゆるぎないものにするためでもあります。
ですが、最大の理由は、新たに統一大和に加わった国々を「八尺瓊勾玉」によって象徴したためでもありました。

「八咫鏡」や「草薙剣」のように、「八尺瓊勾玉」を所有する者が、それらの国々を治める者がもつ“みしるし”としたわけです。

では、具体的に「三種の神器」は、どの国々を治める“みしるし”なのでしょうか。

国の勢力範囲は、時代とともに変遷しますので、一定ではなく、時期によって異なりますが、結論のみを書いておきますと、次のようになります。

「八咫鏡」は、九州倭国と、そこから東征した畿内国などの国々を象徴します。
「草薙剣」は、出雲国をはじめ、東征までの畿内国をふくめた本州大国主連合を象徴します。
「八尺瓊勾玉」は、上述と複合する地域もありますが、主に7世紀ころまでに統一大和に加わった北陸や関東以北の国々を象徴します。


One-Point ◆ 以上のようなことから、「八咫鏡」「草薙剣」「八尺瓊勾玉」を所有する者は、独立国家 統一大和を治める「天皇」として、その正統を象わし、継承をもって「万世一系」を成してきたわけです。
『日本書紀』奏上以前は、「二種の神器」だったことがわかると、たとえば『古事記』や『日本書紀』以前にあったとされる“竹内文書”や“ホツマツタヱ(秀真伝)”などの「古史古伝」に、もし「三種の神器」といった記述があれば、それは「偽書」の可能性が高いことになります。





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