宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―
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今、日本を巡る歴史の大河では、何が本流となっているのでしょうか。
結論からいえば、「想作歴史」vs「真実の歴史」という「歴史戦」です。
占星学的には、「双魚宮時代」から「宝瓶宮時代」の歴史への変遷です。
●第1稿 : 2015年 2月11日 アップ
今回は、「占星学から解く日本の原点」を連載中のため、なるべく簡潔に恒例の「建国記念の日特別編」をお届けしようと思います。
結論は、日本国家の存立と、時代の転換をかけた「歴史戦」が現在、起きているという事実のご紹介です。
誰もが知っていて、「ジョーシキ」とされていることに、もはや迷言となった「歴史は勝者によって作られる」という言葉があります。
事実、過去の歴史は、大半がそのとおりにつくられてきました。
だからといって、ご納得されては困るのが現在、またこれからの未来です。
とくに「誤解」されやすい日本はそういえます。
「歴史は勝者によって作られる」
この過去の言葉を、真実かのように受け入れてしまうと、当然、本当の「事実」が隠されてしまいます。
「敗者」は、誰であっても悪である。
「勝者」は、善なる側で、「正しい」戦争や行いをしたものである。
そういった図式が確立してしまいます。
本当に本当でしょうか?
違いますよね。
このことに対して、占星学から見解を申し上げますと、かつての「双魚宮時代(そうぎょきゅう・じだい)」は、それでもよかったのです。
なぜなら、支配・被支配などの「対立二元論」を「歴史パラダイム」としてきた「双魚宮時代」においては、曲がりなりにも、それによって社会の秩序が保たれてきたからです。
ちなみに「双魚宮時代」というのは、古代ギリシャ時代、また東洋では仏陀が現われる少し前の紀元前6世紀頃から、その影響圏に入り、イエス・キリストが生まれる約167年ほど前に正式にはじまりました。
それは、25年前の1989年まで、約2,160年(計算値)ほど続いた時代です。
このような時代区分は、約25,920年(計算値)の宇宙的な周期を持つプラトン年(グレート・イヤー)に基づきます。
「双魚宮時代」の歴史パラダイムである「対立二元論」は、「神かサタン(悪魔)か」、「善か悪か」、「吉か凶か」、「○か×か」、「精神か肉体か」といった二者択一的な二元論思考を当然としました。
しかし、もはや現代は、それほど単純な時代ではありません。
すでに「双魚宮時代」は25年ほど前に終わり、新しい歴史パラダイムによる「宝瓶宮時代(ほうへいきゅう・じだい)」がはじまっているからです。
ただし、人々の考えや社会には、旧い観念や体制がしばし残存します。
それゆえ現在は、宝瓶宮時代への移行期、つまり高速道路の本線に入る前の「ランプウェイ」にあたる「イン・ジ・アクエリアス」の時代です。
One-Point ◆ 一方、「歴史は変わる」という言葉があります。こちらは不変の真実です。変わらない歴史など、どこにもありません。「歴史は勝者によって作られる」という言葉が、双魚宮時代に通用した一過性のものであるのに対し、「歴史は変わる」という言葉は、いつの時代にも通用する普遍的な事実だといえます。
「双魚宮時代」最後の世紀となった先の20世紀は、「人類の壮大な実験」のときだったといわれることがあります。
その意味は、共産主義世界という、まだ見ぬユートピア「理想社会」の実現をかけた共産主義運動が、世界を席巻し、戦争や闘争による共産主義革命を繰り広げた結果、「双魚宮時代」の終焉とともに、実験失敗となった顛末をいいます。
もう一つ、20世紀について言われていることは、「20世紀は戦争の時代だった」ということです。
こちらは、誰もがご存じでしょう。
20世紀が始まるや、まもなく「第1次世界大戦(1914年)」が勃発します。
それは「第2次世界大戦(1939年)」の遠因となっていきます。
その第2次世界大戦もまた、その終結(1945年)が20世紀後半の「共産主義」vs「自由主義」の闘いである実質上の第3次世界大戦にあたる「東西冷戦」につながっていきます。
しかし、米ソが直接対決を避けた「東西冷戦」を前段として、人類は大きな戦争はできなくなりました。
1989年に双魚宮時代が終わり「宝瓶宮時代」がはじまったからです。
占星学的には、そういうことです。
それによって宇宙創成プロセスの流れが、共鳴波動に変わったためです。
それを歴史パラダイムからみると「対立二元論」の双魚宮時代が終わり、「共鳴関係論」の宝瓶宮時代がはじまったということになります。
「数理法則とクオリアル・ワールド」に基づいて、「人類歴史の流れ(プログラム)」をひもとけば、そういったことがみえてきます。
これを一般的な観点から申し上げますと、次のようになります。
宝瓶宮時代は、共鳴関係による「社会」を世界的に形成していきます。
それゆえ、宝瓶宮時代の影響圏に入った近年、グローバリゼーション(Globalization=地球規模化)が起きてきました。
それが今日、最も進んだ分野が、宝瓶宮時代の申し子であるワールド・ワイド・ウェブ(インターネット)技術などのテクノロジーをはじめとして、経済(貿易)です。
共産主義が、言論と経済で崩壊したことは、世界が知っています。
そうでなくても、もはや経済(貿易)なくして「国家」が立ち行かないのは自明です。
このことは、国際社会の支持や理解がえられないまま、一方的に戦争を起こせば、経済(貿易)が行き詰まることを意味します。
経済(貿易)が行き詰まれば、石油などの「エネルギー」はもちろん、「食料」までも自給できなければならず、それができる国は、可能性としてですが、アメリカ以外にはありえません。
One-Point ◆ 上記の事情から、尖閣などの局地戦や、国によらない民族紛争はともかく、国どうしの戦争はできないことがみえてきます。かといって、軍事力や防衛力が不要ということには、つながりません。なぜなら、国家という立場は、国民を抱える以上、不利益になるほどの「寛容」や「自己犠牲」を発揮することはできないためです。つまり、外交には国益の確保が不可欠であるために、対等の立場で話し合うためには、相手が武力で脅してきても屈せず対抗できるだけの戦力また自衛力の保持が必要だからです。国家権力に守られた一般市民どうしの関係とは、根本から異なるのが「国家」という独立的な立場です。
さて、おおっぴらに戦争ができなくなると、自国を優位にもっていくためには、どうするのでしょうか。
その一例は、日本を取り巻く現状をみれば、誰の目にも明らかです。
「従軍慰安婦を強制的に集めた」
「南京大虐殺で30万人を殺した」
「日本はアジア諸国を侵略した」
「……」
太平洋戦争に負けた国ゆえに、「日本は悪い国だ」と歴史のウソを言い募ってくるのです。
日本人は自己犠牲の精神性によって、お人好しにも、それらを信じてしまいます。
かの国の「歴史は勝者によって作られる」という、もはや過去の迷言も信じてしまうのです。
このようなことの本質を正しく知るには、国家や民族によって「歴史観」が異なるという事実を知らなければなりません。
ここでいっている「歴史観」というのは、その国家や民族が「歴史」そのものをどのようにとらえているかということです。
以下、比較するために「特徴」を抽出してお伝えいたします。
日本人は、歴史を「事実」だととらえます。
私情を交えずに客観的に解明するもの、そういったふうに正直にとらえる民族です。
欧米は、少し異なります。
「歴史」というのは、ヒストリー(History)です。
「ヒストリー」というのは、「He+Story」だという説があります。
これには一面の事実があります。
欧米諸国すなわちキリスト教諸国においては、歴史は「彼(He)」=イエス・キリストなど三位一体の神の「物語(Story)」だという意味です。
人類歴史は神の歴史であり、キリスト教の歴史、宣教史、また神の国実現への歴史だというとらえかたです。
それに沿うことが正しい歴史であり、善だったのです。
現在は、そこまで極端ではありませんが、彼らの「歴史」に対する認識は、それを「正義」としてきた一面があります。
かつて、そのような欧米が、「建国記念の日 特別編4:占星学からみた20世紀日本」に書いたように、植民地としていた東アジア諸国を、大東亜戦争(太平洋戦争)で日本が追い出して、アジア諸国を独立に導いたことは、彼らの「歴史(History)観」からみれば神にそむいた悪であり、「侵略」以外の何ものでもなかったのです。
しかし、そのような「詭弁」は、もはや通じなくなりつつあります。
真実とは異なるからです。
このような「歴史観」は、日本近隣のかの国々になると、もっと極端です。
彼らの歴史における「正義」は、まさに勝った者(人物)の歴史だからです。
それがかの国です。
神戸生まれながら中国歴史の小説家、陳舜臣(1924-2015)氏が、「歴史は勝者によって書かれる」といったのも、そのへんの事情ゆえです。
日本人のように「事実」が重要なのではなく、中国では、政権を握った者が自分で「歴史」を都合のいいように想作します。
ご理解できますか。
日本のように「歴史」には客観的な事実があって「解明」するものではなく、手前(自国、権力者)の都合のいいように過去を解釈したり、白髪三千丈とばかりに吹聴するのが、彼らにとっての「歴史」なのです。
One-Point ◆ だいたい誰でもそうですが、自分の「価値観」から我知らず、相手の言動を判断します。日本人は「歴史」=事実なので、中国人や韓国人が「歴史」を語るとき、それが「事実」もしくは「本当」かもしれないと正直に信じ込む一面があります。ところが、彼らは逆です。歴史は自分の都合のいいように「解釈」するものという歴史観を持ちますので、いくら日本人が「歴史の真実」を伝えても、「日本人が自分の都合がいいように解釈したもの」という認識を持ちます。これが何を意味するのか、ぜひお考えください。
そのような歴史観を、かの国々は持ちます。
分かっていても、そう主張するのです。
なので、日本はかつて「従軍慰安婦を強制的に集めた」、「南京大虐殺で30万人を殺した」、「日本はアジア諸国を侵略した」とウソと分かっていても想作して、堂々と言い募るのが彼らの流儀であり、かの国々の「歴史」なのです。
日本人の「歴史」は事実を探究する「学問」ですが、かの国の「歴史」は政治や自己主張の「道具」にしかすぎません。
欧米のように、唯一絶対なる不変の「神」を持ちませんので、そうなります。
また、日本のように、大自然を「普遍の神」として大切にすることもありませんので、そうなります。
彼らにとって、歴史は「人」がつくるフィクションにすぎません。
いわゆる極度の「人本主義」なので、そうなります。
自分に都合のいいように変えるのが、彼らにとっての「歴史」です。
それゆえ中国には、強大な権力者が現われると、過去の歴史を消し去ることが起こります。
秦の始皇帝の「焚書坑儒」しかり、毛沢東の「文化大革命」しかりです。
一見、言葉は「文化大革命」とキレイですが、内実は、共産党にとって都合の悪い過去の文化伝統を消し去り、都合の悪い他国の影響や歴史をすべて根絶やしにして、独裁に都合のよい「歴史」につくり変えることをしています。
お隣の「小中華」も類似です。
第一、今の中華人民共和国「共産中国」は、太平洋戦争に参加していません。
戦後、国民党などを追い出して建国した歴史の浅い国です。
その証拠に、中華人民共和国の建国いわゆる「国慶節」(建国記念日)は、戦後5年も経った1949年10月1日です。
本当に「戦勝国?」と考える方もいるはずです。
かの国々は、そのように「歴史」を自分勝手に作り変えて、有利なようにします。
また、過去の文物を破壊するなど証拠隠滅を行ないますので、「古文書」や「仏像」などの文物が少なく、逆に日本に唯一残っていたり、保存されていたりすることがあるのはそのためです。
さて、双魚宮時代というのは、そのような勝った者の歴史、すなわち勝者によって「想作」された「フィクション」や「ファンタジー」が通用した時代です。
現代のようにネットはなく、情報は上から「マスコミ」同様に押し付けられるので、そうなります。
新しくはじまった宝瓶宮時代に即応できていない「民度」の遅れた国ほど、それを現在も引きずっています。
宝瓶宮時代は、自由民主主義体制をベースとして、日本と日本人に代表されるような高い精神意識、つまりは「民度」をともなって、今後、逐次、対等(平等)な社会として発展していくことになります。
手前勝手な歴史観ではなく、客観的な事実としての歴史が明らかになることによって、対等な社会が築かれていくのは当然です。
それゆえ宝瓶宮時代は、「真実」が明らかになっていく時代です。
結局のところ、かの国が手前勝手な歴史認識を述べたり、ウソを世界に喧伝していけばいくほど、宝瓶宮時代が進む歴史の大河の流れによって「ウソ」が暴かれ、自らの首を絞めていたという事実を知ることになります。
One-Point ◆ 「日本は何座宮?」に書いたように、日本人は「魚宮」の民族性を持ちますので、「無私の精神」や「自己犠牲の精神」が根底にあります。それは「人の好さ」と同時に、「誤解」されやすい民族であることを意味します。しかし、その一方で「水瓶宮」の国体を持ちますので、「和の精神」や「友愛精神」を持ち、真実を解明して、分け隔てせずに対等(平等)に接しようとします。それゆえ、かつての双魚宮時代には「誤解」されることも多かった日本ですが、宝瓶宮時代においては、漸次、日本人の「真実」が世界に伝わっていくことになります。
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