宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

学校教育と子供の乱
―新しい感性の子供たち―

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教師がイジメの加害者になった福岡県での中2生徒の自殺(2006年10月)。
その後、明らかになったイジメや自殺を隠そうとする各学校や教育行政サイド。
いつまでも解決できない教育問題に対して、宝瓶宮占星学からの答えは?

子供たちの新しい時代の感性を把握せよ!

子供

●第1稿 : 2006年11月15日アップ

不登校やイジメなど学校教育の現場が問題となって、ずいぶんと年月が経ちます。 かつての学園闘争での暴力革命志向とは異なって、非行の低年齢化や子供どうしのイジメによる自殺や不登校、教育者側の隠蔽(いんぺい)などの責任逃れや教師の幾多のハレンチ行為など、新たな問題が学校現場には生じています。
この現実に、宝瓶宮占星学から一つの見解を述べます。

《プラトンギャップ=現実化してきた時代感性の違い》

ありきたりな表現ですが、教育現場における問題は後を絶ちません。
イジメによる自殺、偽りの報告をする学校や教育行政。必修とされた科目の授業を行なわない履修逃れ。この10月11月は、安倍内閣の教育基本法改正とリンクして、教育問題がテレビで取り上げられない日はありませんでした。
この2006年秋の学校教育をめぐるさまざまな報道をみても、今の学校教育の現場ならず、教育委員会や文部科学省など教育行政は、混乱と腐敗を極めているように思います。
これは今に始まった問題ではなく、もう長い間、ずいぶんと続いているのですが、いまだに解決されていないということは、この現状に対して、結局は誰も、どうすることもできていないのが実状だということです。
原因や理由はいろいろあります。皆様にはにわかに信じられないかもしれませんが、特にイジメや不登校の根本原因が、ジェネレーションギャップ以上の「プラトンギャップ」にあるというのが、宝瓶宮占星学の見解です。
教育サイドの古い(双魚宮時代の)教育観と、子供たちの新しい(宝瓶宮時代の)感性の越えられない段差がそこに横たわっているのです。

One-Point ◆宝瓶宮時代と占星学」の項などで触れてきたように、双魚宮時代は約2,160年間続いてきた人類文化の歴史であり、宝瓶宮時代はこれから約2,160年間続く新しい人類文化歴史です。基本的に価値観や感性が全く違うのです。その違いの影響が「宝瓶宮時代のビッグバン以降に生まれた子供たち」を通して、顕著に現われはじめたということです。


宝瓶宮時代のビックバン

●宝瓶宮時代のビックバンは、1989年〜1990年にかけて起こりました。
日本では、昭和天皇が崩御されたのが1989年1月7日ですから、ちょうど平成に元号が変わったあたりからになります。2006年11月現在、早生まれで高校3年生の子供たちから下が、宝瓶宮時代の感性を持って生まれてきていることになります。

《平成生まれの子供たちは新しい時代の感性を持つ》

ちょうど高校生以下の子供たち(の多く)は、今までとは違った宝瓶宮時代の感性を持って生まれてきています。
かつて「新人類」という言葉が流行りましたが、もはや「異星人」といってもいいくらいの感じ方や捉え方をしているのが、平成生まれの子供たちです。
そのため、子供たちの考えを知るには、「宝瓶宮時代」のキーワードを探れば、その象意や行動特性が見えてきます。
これを知らずして、今の大人たちが古い教育論を持ち出して、「尊敬される大人や教師を!」など、あれこれ議論しても、また対策を講じても、本質的に解決することはできません。
根本的に拠って立つ根っこが違うので、教育者である大人は子供を理解できないし、子供たちは大人を受け入れることはできません。
今後の学校教育の現場で起きる問題を解決するには、このことをよく理解し、把握しないと解決の糸口は見えないのです。

One-Point ◆ 今の子供たちも大人になれば、考えも成長して現実の社会を認識します。現実の社会と自分たちの感性との折衷案を持つことができるようになるでしょう。しかし、まだ未熟な子供である学校教育の現場においては、「教育」が変わるしかありません。今の子供たちが大人になって、そこから教育者が育ち、教育行政に携わる子供が生まれるなど、影響力を持つ立場に至れば、変わっていくでしょう。それまでどうしていくかが重要なのです。


人類の新しい地平が始まる

●だいたい17世紀、ガリレオあたりから宝瓶宮時代の影響が、人類歴史上に現われはじめました。イギリスの名誉革命、フランス革命、アメリカでの独立戦争などが、その政治的転機です。とはいえ、まだ歴史的先覚者たちが感じていたに過ぎず、天が開けたようにその波動が地上に降り注ぐのは、1989〜1990年の宝瓶宮時代のビッグバン以降です。

《宝瓶宮時代の感性が分からない現在の大人》

宝瓶宮時代のビッグバン以降の感性を持って生まれた子供たちが、どういう根っこや行動特性を持っているのか、その一端をご紹介しましょう。
宝瓶宮時代の影響の一つは、フランス革命のモットーである「自由・平等・博愛」によって象徴されます。
ご注意いただきたいのは、皆様が考えている「自由・平等・博愛」は、双魚宮時代の価値観に基づいた考え方をしているかもしれません。
さらに宝瓶宮時代は、「個性」や「友愛精神・友愛社会」がその特徴です。
今の子供たちは、こういった時代の感性(波動=自存波)を自分でも知らないうちに持って生まれてきているということです。
これが、今の子供たちの価値基準であり行動の判断基準となっています。
ただし、子供ですから、その理解や発露はまだ未熟です。
未熟で純粋なゆえに、大人である教師とのギャップや、子供どうしのイジメや、その複合による不登校が起こるのです。
大人である教師たちは、このことを知らないために、今の子供たちの考えや行動が本質において理解できません。
理解できないから、イジメや不登校など教育現場の問題を解決できないのです。

One-Point ◆ 「自由・平等・博愛」の解釈は、これが新しい宝瓶宮時代の象意であるために、双魚宮時代的な捉え方をしていては、正しい理解ができません。ですから運動会などで手をつないで一緒にゴールインという誤った平等観や博愛観が教育現場でまかりとおり、逆に、個性や自由を阻害してしまいます。これについては宝瓶宮占星学「自由・平等・博愛の本義」のページで述べます。

《イジメは子供たちにとって感性が放つ正義心》

実際に学校の教壇に立った教師しか分からないかもしれませんが、次のように感じるといいます。
「子供の心が見えない」、「つかみどころのない空気を感じる」、「ひんやりとして見つめる子供たちの存在がある」、「これまで20年の経験が役に立たない」、「クラスの生徒たちから得体のしれない恐怖すら感じる…」といったことです。
この理由は簡単です。
何度も書いたように、時代の感性が根本から違うのです。これを分かるのは、新しい感性をもった教師や親御さんですが、多分、そういうタイプの人は、あまり教師にはなっていないでしょう。
次に、イジメの理由です。
子供たちは「友愛社会」という宝瓶宮時代のキーワードを持って生まれてきています。「友愛社会」、読んで字のごとくお互いが仲間という精神による関係です。
この感性が、「友愛精神」を感じられない子供、「友愛社会」に合わない子供に対して、率直に違和感を感じ、イジメてしまうのです。
一方で、何かの拍子に急激に一致団結(友愛精神を発揮)して、教師を攻撃したりします。子供たちにとっては、ごく自然の感性ですから、あまり悪いことをしているとは思っていません。
むしろ悪いのは友愛精神のないイメジられる子供のほうで、「友愛精神」で一緒になってイジメるほうが、子供にとっては自然で正しいのです。
大人である皆様は理解できないでしょ?
なので、そういう古い感性や考えで、いくら「イジメは良くない」とか、一生懸命、双魚宮時代の教育観で教えようとしても、通じ合えません。
子供たちは、かえって「自分たちを理解できない先生!」と認識して、表面ではいい子しても、ウラではますます溝ができてしまいます。

One-Point ◆ 誤解なきようにお願いします。子供たちを擁護していますが、イジメを容認しているのではありません。アメリカがその「友愛精神」から、他の国を戦争などで「イジメ」るのも、似たような構造です。問題解決には、正しい原因認識が必要なため、宝瓶宮占星学の観点からその捉え方をお伝えしようとしているのが本意なので、ご理解ください。


儒教的学校教育は今や弊害

●「儒教」そのものを否定しているのはありません。「西洋占星術の登場」で触れたように、双魚宮時代の影響圏に入るとともに儒教は生まれ、これまで時代のバックボーンとして東洋人を導いてきました。しかし、双魚宮時代は終わり、新しい宝瓶宮時代は始まったのです。現実社会が重要なのです。タテの序列から、ヨコの友愛関係が求められていることに気付かねばなりません。

《本当の友愛精神とは何かを大人が実践すること》

では、その対策の一端を書きます。
「友愛精神」や「友愛社会」といった感性自体は、これからの時代の流れなので、だれも抗うことはできません。
新しい時代の感性を、宝瓶宮時代のビッグバン以降に生まれた子供たちは、先駆けて持っているだけなのです。
ただ子供たちは、それを正しく発現するための方法を、身近な大人の誰も教えてくれないので分からないのです。
もちろん、時代の感性を先取りした一部の親御さんはいるでしょう。しかし、学校教育という「進学中心の行政システム」では、教えるのは無理ではないでしょうか?
宝瓶宮時代の重要なキーワードである「自由」と「個性」の捉え方を、正しく理解しなければなりません。大人である教師が実践して感じさせるのです。
「個性」というのは、ご存じのように同一ではありません。一人ひとり特質や特長が違うということが「個性」です。「個性」には重要なファクターが必要です。
その個性の違いによる相手の「自由」を尊重するというのが、本当の「友愛精神」です。その「友愛精神」を根底において、お互いに認め合って築く世界が「友愛社会」です。
よく考えてみてください。
大人である教師でさえ、このことの本質をよく分かっていないため、教えることができません。だから、一緒に手をつないでゴールインなんて、あさはかなことをやってしまうのです。
そんな学校や教師に、子供は間違った「友愛精神」を注ぎ込まれます。一方で、心の中に違和感を抱きます。先生を尊敬するはずはありません。

One-Point ◆ 「個性」ということを、正しく認識しなければなりません。本当の「個性」は、人格や礼節が必要です。加えて人とは違う特長や性質を持つことです。どちらが先でもかまいません。人間としての礼節が備わらなければ「個性」はありえません。それでこそ、お互いに唯一の人間として尊敬できます。そこから「自由」や「友愛精神」が始まるのです。



※ご注意

●ここに書いた内容が、問題解決のすべてではありません。あまりの教育現場の混乱ぶりに、他の人が指摘しえないであろう原因の一部「タネ」を書いたのです。
今の子供という「新種のタネ」には、当然のように情報環境という「土壌」や、学校教育という「栽培方法」が適切であることが必要です。 適切な土壌や栽培方法がタネに与えられてこそ、健全に成長(生長)するからです。
何のタネか、どんなタネか知らずして、情報環境の準備も、学校教育の方法も分かりません。それがない現在の子供たちは「孤独」なのです。孤立無援の状態です。

《教師や大人たちのほうが子供たちから学ぶこと》

最後に、不登校や引き篭もりですが、先生とは感性のギャップを感じ、同級生とは友愛精神を育めないとしたら、学校がイヤになりませんか?
ましてや、親とも理解しえないとしたら…。
一人っ子ならなおさら、もう自分の中に引き篭もるしかありません。
時代の感性の鋭い宝瓶宮時代の子供であるほど、そう感じて当然なのです。
不登校や引き篭もる子供は、時代の感性を持っているのです。
古い価値観の教師や大人は、双魚宮時代の儒教的教育観から「学校が大事だ」と信じています。
確かに儒教は、一時代を築きました。
しかし、その教えの本質は「古きを大事にする」ことです。
「昔の政(まつりごと)は良かった。先王は王位を禅譲した。その時代に戻ろう。だから年寄りや先祖や親を大事にしよう。三歩下がって学ぼう」というのが、双魚宮時代の儒教なのです。
そこにはタテの序列が歴然として貫かれており、個性を尊重しあうヨコの関係は、極端に薄いのです。
儒教は、新しい時代の精神や考えは、容易に認めません。あくまでも「温故知新(=古いこと学んで新しいことを身に付ける)」なのです。
あえて言います。
そんな、古い教育観は、(正しい普遍的な内容を残して)捨てなければなりません。
少なくとも今の時代に限っては、むしろ教師や大人たちのほうが、子供たちから学ぶのです。
問題解決は、そこからしか生まれません。

One-Point ◆ 親や教師は、「理解できない」子供の感性を受け容れることです。子供たちを受容するのは、いったん自分たちの感性を否定することなので、お山の大将や事なかれ主義の一部の先生には難しいでしょう。子供に迎合することとは違います。子供の新しい感性を理解して、正しい「個性」や「自由」の捉え方や在り方など、大人として実践やアドバイスができてこそ解決していくでしょう。

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