宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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↑ 「山誉め祭」のポスター
●2023年11月 4日アップ
毎年恒例、11月15日に博多湾の志賀島(しかのしま)にある志賀海神社(しかうみ じんじゃ)で行われる「山誉め祭」こと「山誉漁猟祭」。
その神楽歌の中で、わが日本の国歌「君が代」の歌詞が丸ごと奉唱されます。
かといって直接のかかわりはないようです。
いろいろと複雑な経緯があって、明治になって国歌とされ曲が付けられました。
山誉め祭の神楽歌は次のような内容です。
「君が代は 千代に 八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで。
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ 身骸に命 千歳という。
花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早に はえたらむ 釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいはや。
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向かいたる あの吹上げの浜 千代に八千代まで。
今宵 夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 安曇の君の めし給う 御船になりけるよ。
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良が崎に 鯛釣るおきな」
One-Point ◆ 国歌の歌詞とまったく同じです。神楽歌では「君が代(だい)は」なのですが、選出元の『古今和歌集』に選録された「詠み人知らず」の七五調の歌では「わが君は」となっています。
志賀海神社は、全国の「海神社」(わたつみ じんじゃ)で祀られる海神の総本社で“龍の都”といわれます。
ご祭神は黄泉(よみ)の国から帰ってきた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が祓ぎ払いをしたときに生まれ出た綿津見三神こと「底津綿津見神」(そこつ わたつみ の かみ)、「仲津綿津見神」(なかつ わたつみ の かみ)、「表津綿津見神」(うはつ わたつみ の かみ)です。
これらの神々は、『日本書紀』(神代 上巻)に古代海人族(あまぞく)の一つ「安曇連(あづみのむらじ)らがお祀りする神である」と記されています。
志賀島は、今でこそ砂州や道路「海の中道」で福岡市東区香椎とつながっていますが、古代は三苫(みとま)水道に隔てられた博多湾の入り口に浮かぶ島でした。
One-Point ◆ 「海人族なのに、なんで山誉め祭?」と思われる方がいるでしょう。正式には「山誉漁猟祭」といい、「山の恵みに感謝し、豊漁を祈る祭り」です。古来より、漁業と狩猟が行なわれ、勝山、衣笠山、御笠山の志賀三山があります。
●伊弉諾尊の祓ぎ祓いによって生まれ出た神々をピックアップしておきます。
「八十枉津日神」(やそ まがつひ の かみ)、「神直日神」(かん なおひ の かみ)、「大直日神」(おお なおひ の かみ)。
「底筒男命」(そこ つつのお の みこと)、「中筒男命」(なか つつのお の みこと)、「表筒男命」(うわ つつのお の みこと)の住吉三神「住吉大神」。
「底津綿津見神」(そこつ わたつみ の かみ)、「仲津綿津見神」(なかつ わたつみ の かみ)、「表津綿津見神」(うはつ わたつみ の かみ)の綿津見三神。
さらに「天照大神」、「月読尊」、「素戔嗚尊」の三貴子。
月読尊(つく よみ の みこと)は、“月”と“黄泉”(夜)を象徴しますので、『日本書紀』には以後、出てきません。
これらの神々を祀る神社は、すべて博多湾岸に残っています。
お話は変わります。
『日本書紀』の「一書」によれば、伊弉諾尊は「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の川の落ち口の橘の檍原(あわぎはら)」で祓ぎ祓いをされたと記されています。
一方、「天津祝詞」(あまつのりと)では、「筑紫の日向の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に御禊祓い賜ふ時」と宣(の)られます。
博多湾には「小戸」(おど)という地名が能古島渡船場の近くに残っています。
ここで「日向」というのは、現在の宮崎県の旧名ではなく、そちらは律令制度の8世紀になって、北部九州(福岡)では都合が悪いことから、地名変更の勅命が下されたものです。
また、“黄泉の国”から帰ってきて祓ぎ祓いをしたということ自体が、南九州ではないことを示します。
祓ぎ祓いによって、「八十枉津日神」(やそ まがつひ の かみ)ら三神(警固三神)、住吉大神こと「住吉三神」、前述の「綿津見三神」、さらには天地を治めるものとして「天照大神」「月読尊」「素戔嗚尊」の三貴子(みはしらの うずのみこ)が生まれたとされています。
ここから統一独立国家“大和”の治世がはじまっていきます。
One-Point ◆ 神話上でのお話です。『日本書紀』は事実の一部をベースとしつつも、とくに「神代」は創作です。ただし、そのなかに7世紀の統一大和の建国の精神と理念が色濃く反映されているので重要です。
●志賀海神社の入り口の鳥居の前に「お潮井」があります。
伊弉諾尊が祓ぎ払いをされたことにちなんでだと思いますが、ご参拝の前に、左・右・左とお清めをして鳥居をくぐります。
塩ではなく、海の真砂(まなご、まさご)、お清めされた細かな海砂です。
これは、住吉三神を祀る「住吉神社」(福岡市)にも「お潮井」があります。
こちらは拝殿のお賽銭箱の横に、現在では300円の初穂料でお清めなどに持ち帰ることができます。
また、福岡市に隣接する内陸部の那賀川市にある住吉三神総本宮の「現人神社」(あらひと じんじゃ)も同様にお潮井があります。
住吉三神を祀るのは、日本第一住吉宮とされる「住吉神社」(福岡市)です。
今は博多駅の近くの内陸部にありますが、古地図では川の落ち口に位置し、当時の博多湾に面した突端部にありました。
正門鳥居前の通称「ひょうたん池」は、その名残りで、伊弉諾尊が祓ぎ祓いをされた場所という由来が残っています。
一方、綿津見三神をご祭神とするのは、冒頭でご紹介した「志賀海神社」で、現在では陸続きとなった志賀島に位置します。
さらに、一説では瀬織津姫(せおりつひめ)とも目されている「八十枉津日神」のほか「神直日神」と「大直日神」ら三神は、福岡最大の繁華街にある西鉄天神駅の裏「警固神社」(けご じんじゃ)で祀られています。
もっとも、元宮(上警固神社:福岡市南区警弥郷)のほかにグループ「嵐」(2020年活動休止)の櫻井翔氏のファンが聖地として訪れることでも知られている糸島市の「桜井神社」に“警固三神”はご祭神として祀られています。
桜井神社の奥には、式年遷宮で使われなくなった伊勢の鳥居などを用いた簡素な「伊勢神宮」があります。
『日本書紀』でいう“黄泉の国”は出雲(黄泉比良坂:よもつひらさか)が境というのが通説ですが、間違いとまではいえなくても、祓ぎ祓いの記述と辻褄があいません。
博多湾から日本海に出た“玄界灘”の先を想定したもので、そこから帰ってきた(縁を切った)伊弉諾尊が必然的に祓ぎ払いをする場所は、『日本書紀』の表記どおり流れが早い上の瀬でもなく、弱い下の瀬でもなく、中の瀬にあたる“玄関口”となる場所を神話ながら想定したと比定できます。
なぜなら、『日本書紀』は伊弉諾尊の祓ぎ祓いによって、統一独立国家「大和」のはじまりを象わしているためです。
One-Point ◆ 今日、新たな“祓ぎ祓い”のときを迎えています。世界的な独立国家「日本」は“友愛精神”(和、絆、民度)などを象意とする水瓶宮によって象徴される古来から続く「国体」をもって、宝瓶宮時代の新たな世界をしろしめすことになります。
おまけです。
警固神社のある天神から1kmほど下った小高い丘に建つマンションや木々のなかに、誰も行かないであろう秘密の小さなお社があります。
たしか10数年前に伊勢をご参拝したとき、気づきませんでしたが多賀宮で何事かがあり、帰福後、訪れたときにそういうことには鈍感な私も「誰かいる!」と感じたほどのお社です。
先日、久方ぶりに行ってみると、そのお社のご祭神はなんと「瀬織津比売」(せおりつ ひめ)、「速開都比売」(はや あきつ ひめ)、「息吹戸主」(いぶきど ぬし)、「速佐須良比売」(はや さすら ひめ)でした。
これらの神々は、「大祓詞」(おおはらえ の ことば)で共に宣(の)られる「天津祝詞」(あまつ のりと:禊祓詞)で、伊弉諾尊が祓ぎ祓いをしたときに「生(あれ)ませる祓戸(はらえど)の大神たち」です。
※表記は「大祓詞」によるもので、お社の案内板は微妙に異なっています。
One-Point ◆ 時代とともに、神々も交替したり、新しく生まれ変わったり、別のエネルギーとして働きます。そのような動きが今日は激しくなっています。古い社会通念にしがみつきすぎずに、新しい時代のエネルギーとの共鳴が必要な昨今です。