宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―

瀬織津姫の実像
[隠匿]
― 最初の国づくりを支えた姫神 ―

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なぜ瀬織津姫は『日本書紀』から隠されたのか

↑ 八十枉津日神を祀る警固神社

●第1稿 : 2023年 2月23日アップ


正体不明ゆえにスピリチュアル界隈でもアレコレと取り沙汰されています。

直観や霊視などの主観は、ご自由なのでかまいません。

ですが、古代に実在したナゾの神「瀬織津姫」(せおりつひめ)とは?

『古事記』や『日本書紀』には登場しませんが、神道の「大祓詞」に登場し、また日本最古の歴史書で偽書の「ホツマツタヱ」に記され、『倭姫命世記』に補記されています。

天皇誕生日記念「伊勢神宮と倭大国魂神社」の補足記事です。

《 天照大神と瀬織津姫 》

記事をアップした翌日、なぜか「瀬織津姫」に関するコンテンツにアクセスしました。

なんで? と思いつつみていくと、伊勢に祀られる天照大神との関連に気づきました。

「これゆえか!」と思いました。

伊勢に祀られている歴史上に実在した天照大神について「伊勢神宮と倭大国魂神社」で取り上げたからでしょう。

『日本書紀』に記される“神話上”の「天照大神」のお話ではありません。

そういえば、かつて伊勢神宮を訪れたとき次のようなことがありました。

One-Point ◆ 当サイトで以前、ナゾの神「瀬織津姫」の正体に触れたことがあります。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の祓ぎはらいによって最初に生まれた「八十枉津日神」(やそ まがつひ の かみ)として『日本書紀』に出てきます。「禍いの神」ゆえ、忌避されるよう仕向けられていたのです。

《 荒祭宮と多賀宮 》



伊勢神宮は、ご存じのように天照大神を祀る内宮と豊受大神を祀る下宮とがあります。

下宮の別宮(わけのみや)「多賀宮」(たかのみや)をご参拝したときです。

個人的には何も感じませんでしたが「剣」と「巻物」を授けられたと言われたのです。

もちろん実際の剣や巻物ではありません。

ですが、これは“真実を見出して明らかにする”といったような意味が認められます。

それはともかく、下宮の「多賀宮」にも内宮の「荒祭宮」にも鳥居がありません。

さらに多賀宮は、外宮のご祭神豊受大神を祀る本殿よりも小高い丘の上に位置している特別な別宮になっていました。

なぜかといえば、内宮の荒祭宮に祀っていた八十枉津日神を天照大神の荒魂とし、下宮を造営した際に本来のご祭神を多賀宮に遷したからのようです。

One-Point ◆ 鳥居がないということは、重要な意味を持ちます。内宮全体または下宮全体の鳥居が対応し、内宮や下宮のご祭神と同等ということになります。それゆえ、荒祭宮も多賀宮も第一別宮に位置づけられており、天照大神や豊受大神と同格のお立場を意味することになります。


宮崎県「速川神社」のご由緒

●宮崎県の西都市に速川神社があります。

ご祭神は、祓戸大神こと瀬織津姫です。

伝承によれば、天照大神の命を受け瀬織津姫が瓊瓊杵尊に伴なって、南下し当地を訪れた際に、速川の瀬で急流に足を取られて亡くなります。

その際に、瓊瓊杵尊が小さな祠を建立して御霊を鎮めたのがはじまりとされます。

速川神社自体の創建は、つまびらかではありません。


《 『日本書紀』の作為 》

伊勢神宮が今日のように立派にご造営される前、歴史上の天照大神と瀬織津姫は小さな祠に祀られていました。

それが第40代天武天皇のご発意を受け、后の第41代持統天皇によって立派に造営されたとき「御正宮」に天照大神をお祀りし、背後の第一別宮「荒祭宮」に瀬織津姫を分祀されたようです。

ただし、直後に編纂された『日本書紀』にとっては不都合でした。

なぜなら、持統天皇を「天照大神」になぞらえ、孫の第42代文武天皇を天照大神の孫=天孫降臨の瓊瓊杵尊になぞらえることで、女帝から孫への皇位継承の正当性の根拠とする意図があったからです。

つまるところ「万世一系」の定着です。

そのため、天照大神を“女性神”と解釈できるようにしたほうが説得力が増しスムーズです。

そういった事由がありまして、後年、下宮の造営に際して『日本書紀』の影響もあって荒祭宮の瀬織津姫をご遷座することによって、隠匿が図られました。

結果、荒祭宮のご祭神は現在、天照大御神の荒御魂(あらみたま)とされています。

One-Point ◆ 最初に国づくりを行なった天孫の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)こと伊勢の天照大神と瀬織津姫は、御正宮とそのすぐ背後の荒祭宮にそれぞれ祀られていたことから、ご夫婦だったといえます。

《 「アワの歌」が記される 》

神話上の「天照大神」ではなく、実在の天照大神こと饒速日命と瀬織津姫がご夫婦と推理できたところ、なんとその記録が残されていることが分かりました。

日本最古の歴史書とされる一方で、偽書とされる「ホツマツタヱ」です。

そこにはアマテル神と呼ばれる天照大神は男神で、12人の妻を持ち、瀬織津姫は正妻だと書かれているというのです。

ホツマツタヱが記される原文の古代文字を、現代の約50音にそのまま当てはめて読めるとはとうてい思えません。

もし、そのまま一音一音読めるなら、逆に相応の時代になってつくられた偽書ということが確実になります。

さらには、七五調の「アワの歌」と呼ばれる現代に通じる48音で構成された歌が掲載されているそうです。

これに及んでは、勝者の歴史書『日本書紀』に反発して、国譲りをさせられた側すなわち最初に国づくりをした神々を出自とする海人側またあわ四国側の人物による後世の歴史書です。

One-Point ◆ 『日本書紀』もそうですが、歴史は勝者の視点から記されます。敗者の海人側また四国側が自分たちの歴史を世に知らしめようと残したものが「ホツマツタヱ」でしょう。一面の事実はあっても、全体的な視点に欠けるために全部が正しいとするのは間違いです。


《 倭姫命世紀と瀬織津姫 》

『日本書紀』や「ホツマツタヱ」の記述はともかく、実際に伊勢の地に祀られていたのは、丹後や尾張に拠点を置いた海人族の祖であり、最初に国づくりを行なった天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(饒速日命)です。

実在の天照大神になります。

「神武天皇紀」からも分かるように、国譲りをした饒速日命は同じ天孫系です。

その饒速日命の妻が瀬織津姫で、通称天照大神と一緒に伊勢に祀られたものの、後年、秘匿されて“ナゾの神”と言われるようになったものです。

鎌倉時代の中期に編纂された『倭姫世紀』(やまとひめ の せいき)には、次のような記述があります。

◇荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕
一名、瀬織津比咩神、是也、御形は鏡に座す。【別宮・荒祭宮】

つまり「荒祭宮」のご祭神は、八十枉津日神で、またの名を瀬織津姫といい、そのご神体は鏡だと記されています。

One-Point ◆ 直観や霊視などでなく、また偽書とされる「ホツマツタヱ」に記されているからでもなく、歴史的な事実と記録とをプロファイリングして検証した結果です。上述のように、最初に国づくりを行なった海人族の祖「饒速日命」(天照大神)の正妻が瀬織津姫ということになります。






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