宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―
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↑ いずれも「織田信長」の肖像。
●第1稿 : 2012年 5月 7日アップ
●改訂稿 : 2022年 4月23日アップ
●ホラリー・ホロスコープまたホラリー占星術は、生年月日によらず、質問されたときの時間や、事件や事故が起きたときの時間によって、事の真相をリーディングするものです。
宝瓶宮占星学の基礎理論を適用し、適切にこれを行なうのが新・ホラリー占星学です。
当事者のホロスコープ(出生天球図)を重ねると、さらに真相がみえてきます。
急に、「本能寺の変」をリーディングしてみようと思い切りました。
「天下布武」のポリシーで、逆に戦国乱世が終わる礎(いしずえ)を築き、日本の近代化を推し進めた織田信長には、以前から少なからず興味がありました。
また、明智光秀がどのような動機で謀反に及び、主君・信長を弑したのか、そこに黒幕はいるのか、その真相を知りたいと思っていました。
しかし、理由あってこれまで躊躇していたのです。
信長が本能寺で炎に包まれたのは、天正10年6月2日(旧暦)明け方。
かつてのユリウス暦から現行のグレゴリオ暦に西洋が変わったのは、1582年10月。
「本能寺の変」から3か月後のことです。
ちなみに日本は、明治5年(1872年)12月2日で旧暦を廃し、3日を新暦の明治6年1月1日としています。
「本能寺の変」も、信長が生まれたその48年前も、旧暦なのはもちろん、ユリウス暦の時代です。
占星術の天文暦やホロスコープ作成ソフト、すなわち現在使われているグレゴリオ暦への換算には、かつては一手間二手間が必要でした。
今ならネットで簡単に旧暦を新暦に換算することができます。
躊躇していた本当の理由は、関係者の生年月日や事件の正しい日時に確証が持てなかったからです。
諸説ある中でどれが本当なのか、その特定でした。
どんなに占断やリーディングができたとしても、出生データや事件の日時があやふやなままでは、正しい結果は出てこないのは当然です。
実際、いまだに光秀の本当の出自や生年月日は明らかになっていません。
当時、出自を格式あるものに捏造するのは、よく行なわれていました。
こんなところに長いこと躊躇していた理由があったのです。
One-Point ◆ 今年2012年7月1日は、「本能寺の変」からちょうど430年。計算値72年×6数=432年には2年足りないのですが、これくらいは許容範囲ですし、実質71.66…年ほどなら、6数でちょうど430年になります。これも何かの縁です。やってみることにしました。
●信長は出生時の太陽に土星と天王星の合(0度)を持ちます。
どこかで見たことがあると思ったら、民主党の小沢元幹事長がそうでした。
従う者には親切ですが、頑固なほどに信念を持ちますし、組織力とともに強い権力志向が特徴です。
であっても、やはり信長のほうが上回ります。
右のホロスコープ(出生天球図)から分かるように、木星と冥王星がTOP運を象わす合(コンジャンクション=0度)で、太陽と合=0度の土星と衝(オポジション=180度)をとり、海王星を交えた調停(メディエーション=60/120/180度)の座相形成しています。
太陽は天王星とも合=0度なので、ソーシャル・プラネットの強いコンビネーションを持つホロスコープです。
一般に弱さが出やすい蟹宮の太陽ですが、信長の場合、この個性とパワーは強烈です。
先に、織田信長のホロスコープ(出生天球図)を掲載しておきます。
諸説ある信長の誕生日の中で、やはり定説となっている日がいちばんしっくりきました。
「本能寺の変」のホロスコープとの関連性からも間違いないところでしょう。
One-Point ◆ 信長の生年月日の定説、天文3年5月12日(旧暦)は、ホロスコープ標準である現行のグレゴリオ暦では、1534年7月3日(ちなみに、旧ユリウス暦では6月23日)になります。さすがは稀代の英雄のホロスコープです。左の欄外にも書きましたが、特徴がスゴイですね。確かに歴史の信長と一致する点もありますが、もっとリアリティーのある生の人間信長の姿が見えてきます。
●かつての本能寺があった場所に建つ「本能寺跡碑」。
前ページ「坂本龍馬の出生時間と斬殺」が起きた近江屋から、真東に1,300mくらいしか離れていません。
もし、坂本家に残る文書が事実で、龍馬が明智一族の末裔なら、「本能寺の変」から285年後に「近江屋」で龍馬が斬殺されたのは、不思議な因縁かもしれません。
次に、本題の「本能寺の変」のホロスコープ(事件天球図、設時天球図)とデータを掲載しておきます。
皆様も自分なりに読まれてみてはいかがでしょう。
発生年月日 | 天正10年6月2日、朝4時頃 |
---|---|
事故の現場 | 京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町 (E135.75、N35.01) |
事件の当事者 | 織田信長(満48歳)、明智光秀(54歳?) |
データ典拠 | 2012.07.07現在のデータです。 |
One-Point ◆ 「本能寺の変」が起きた天正10年6月2日(旧暦)は、現在の暦では1582年7月1日になります。旧暦の場合は、誕生日の20日後に事件が起きましたが、新暦でみれば、誕生日の2日前になります。場所は現在の本能寺ではなく、元の本能寺。数年前、焼けた瓦や塀が出土したことで史実が裏付けられています。
歴史のホラリー・リーディングで注意すべき点が2つあります。
最も重要なのは、ドラマや映画などの「イメージ」や「先入観」を排することです。
教科書に載っている「歴史的事実」とされていることも、一度チャラにして、純粋にホロスコープのみからリーディングしなければなりせん。
その結果、ドラマや映画どおりだったりすることもありますし、教科書どおりのこともあります。
しかし、光秀怨恨説にはじまり、朝廷黒幕説、足利将軍黒幕説、徳川家康黒幕説、豊臣秀吉黒幕説、長宗我部元親黒幕説、イエズス会説など、「本能寺の変」をはじめ諸説が入り乱れている場合、案外と別の答えがみつかったりします。
もう1つの注意点は、当時の時代背景や状況を考慮することです。
現代の常識から当時の事件や人物をみてはいけないのです。
同じ日本でも、時代が違えば文化や価値観をはじめ、人々のモノの見方や捉え方はかなり異なってきます。
個人の自由や平和が当然とされる現代と、戦国時代はまったく異なります。
一農民でさえ、日常的に武装していて、戦さに参加していたのが戦国時代です。
また、事件後の結果から当時の事件や人物をみてもいけません。
「本能寺の変」が光秀の三日天下に終わり、その後、秀吉から家康に天下が移った観点から、恣意的にみても、やはり正しいリーディングとはなりません。
One-Point ◆ 自分が思い描いている人物や経緯に合うようにホロスコープを解釈するなど、もってのほかです。逆に、他の読み方はないか、慎重に検証するくらいでよいのです。思い込みや先入観を排してリーディングしなければ、正しいホロスコープ・リーディングになりません。
●「本能寺の変」の当時、どんな運勢期に信長があったのか。
星のディレクションから、信長は4年ほど前から壮大な夢やビジョンを描きはじめていたことが分かります。
前年には、天下に向かう旺盛な活動期がはじまっています。
信長が「本能寺の変」で殺されなかったら、2〜3年後には天下に覇を唱え、「信長独裁王国」が完成していました。
そんな昇り龍の運勢期だったのです。
しかし、信長には海王星のディレクションに対する「免疫」がないのです。
「本能寺の変」の当時、戦国時代にしては油断しやすい人生期に信長があったことが読みとれます。
ホロスコープがないので、光秀がどこまで信長の覇運を敏感に感じとっていたのか知ることはできませんが、光秀が阻止しなくても、日本の国体や時代の流れが、信長の「独裁」を許さなかったはずです。
光秀がそれを感じとって行動したのなら、光秀は日本や時代の「功労者」になります。
いずれにしても、最もそのことを知って、光秀を密かに評価したのは、徳川家康です。
信長のホロスコープ(出生天球図)をみて、「スゴイ!」と思うのと同時に、「こんな上司はイヤだ!」という思いが出てきます。
蟹宮生まれ(太陽が蟹宮)なので、確かに信長には人気運や、ある面の優しさや面倒見の良さがあります。
しかし、複数の理由から、ON/OFFの差が激しすぎる一面があるのも、また事実です。
その代表が、太陽に上方矩(アッパースクエア=90度)の牡羊宮の月です。
月が牡羊宮で上方矩(90度)というところに、衝動的な感情の噴出がみられます。
ふつうの牡羊の月とは異なるのです。
もし、信長が午後の生まれであれば、さらに火星が下三分(ロウアー・トライン=120度)という強烈さが加わってきます。
菅・元首相に輪をかけて、ときに感情をあらわに怒鳴り散らすことが起こります。
ちなみに菅氏は、天秤宮の太陽ながら、衝(オポジション=180度)かそれに近い位置に牡羊宮の月を持ちます。
信長の太陽は、天王星と合(コンジャクション=0度)。
月に下方矩(ロウアー・スクエア=90度)の太陽と天王星です。
この場合、個性や風変わりな性格は、世間の常識を超えてしまいます。
信長の突発的な心境変化や意表をつくアイデアを読むことは、まず誰にもできません。
さらなる特徴は、木星を頂点としたYOD(ヨッド=60・150・150)です。
この木星は、冥王星との合(0度)を持つために、いずれかの分野で、いわば頂点を極めていきます。
底辺は水星と火星です。
もちろん六分(セクスタイル=60度)です。
このYOD(60・150・150)は、前向きで好奇心旺盛です。
若いときほど自分を抑えられず、好き放題、やりたい放題、自分の趣味や興味のまま、また知的欲求のまま、いくぶん衝動性をもって振舞うことのあるタイプになります。
上述のように、もともと人並みはずれた個性の天王星を持つ信長です。
内々では「作法」が重んじられた当時、世間の常識に当てはまらないこと、このうえありません。
しかし、単なる軽挙妄動とならないのが、信長の信長たる真骨頂です。
太陽には、現実や堅実さを象わす土星が合(0度)。
若干、悲観的な一面があるとはいえ、意外なことにふだんは、忍耐強く慎重です。
さらに土星は、上述のYOD(60・150・150)の尻尾に位置し、木星と衝(オポジション=180度)をとって、ヨッド・カイト(30・30・150・150)を形成しています。
「うつけ」や「変人」に見えたとしても、案外と現実に落とし込んだ判断や計算が可能な思慮深さを持つのが、さすがに信長のいう人物なのです。
信長の太陽は、天王星と土星と連続合(ローリング・コンジャンクション=0度+0度)。
太陽と土星は、YODの頂点、木星と衝(180度)。
木星は、前述のように冥王星と合(0度)。
冥王星は、太陽に合(0度)の土星と衝(180度)で、海王星を交え、調停(メディエーション=60・120・180)の座相を形成するという、太陽とソーシャル・プラネットのコンビネーションです。
太陽がかかわらなければ、案外と近い星の配置を持つ人はいるのですが、ここまでくると、やはり天下取りとその才能や運勢を象わすアスペクト(座相や位相)といってもよいのではないでしょうか。
One-Point ◆ ご参考ながら、太陽にケレスが合(0度)をとっていることにも注目です。単純にいえば、ふだんはOFFですが、ONになればとんでもない力を発揮します。戦国時代であればなおさらのことです。総合的にみれば、第三者の目から信長を見るのはドラマチックで面白いのですが、身近に接する部下は、ふだんの思いやりや物静かさのある一面に心酔しながらも、どこでスイッチが入るか分からず戦々恐々、唯々諾々とならざるをえません。
●このリーディングを終えて思いました。
「三日天下の光秀は劣る、それを討って天下を統一した秀吉は偉い」
そんなイメージが一般的です。
確かに歴史の結果はそうでした。
しかし、「本能寺の変」で、すべてが逆転したのです。
織田軍団のナンバー2は間違いなく明智光秀でした。
秀吉の『太閤記』は天下をとった後の創作半分です。
「本能寺の変」以前、秀吉の地位は柴田勝家の下も下、さほど高くはありません。
光秀が年上でナンバー2ゆえ、信長も厳しく当たり、光秀の突出を押さえたのです。
「本能寺の変」は、そんなナンバー2の必然的な犯行です。
ただ、時代は次第に下克上ではなくなりつつあり、丸腰の主君・信長を弑したことが、決定的に光秀の信望を失わせました。
盟友や周囲の支持を得られなくなった直接の原因です。
信長は、時代が与えた使命や役割り以上の「神」の立場を望み、光秀は大義を欠き、二人とも同時に時代から消えていきました。
結果、「戦国時代」が終わりを迎えていくのです。
いよいよ本題の「本能寺の変」のリーディングです。
宝瓶宮占星学では基礎理論である「数理法則」から、事件の「意志」、すなわち動機はASC(Ascendant アセンダント=上昇点)でみます。
一方、被害対象は、その正反対のDES(Descendant ディセンダント=下降点)になります。
ホロスコープをみるかぎり、世間を揺るがした大事件「本能寺の変」は、信長と光秀の関係で完結的に起きています。
被害対象を象わすDES(下降点)にはドラゴンヘッドが合(0度)。
「事の発端」は信長です。
一方、ASC(上昇点)は当然、ドラゴンテールが合(0度)。
「事の結末」は、光秀の動機で間違いありません。
「本能寺の変」のホロスコープの場合はそう解釈でき、事件は二人の間の問題です。
ASC(上昇点)は、蟹宮です。
一瞬、「えっ蟹宮?」と思いましたが、蟹宮が象わす「身内意識」や「自己防衛本能」が光秀の動機です。
四国の長宗我部元親も遠い身内になりますが、ホロスコープには象われていません。
光秀自身の「身内意識」と「自己防衛本能」です。
考えられるのは、出兵直前、領地の近江や丹波を取り上げられたことが事実であれば、それが直接的な「原因」で間違いないでしょう。
実際、「本能寺の変」のホロスコープからは、「土地」にかかわることが動機となったことは、充分に読みとれます。
領地があって秀吉の下に就くならともかく、領地がなければ格下げというだけではなく、完全な左遷や懲戒を意味します。
当時、石高を生み出す土地(領地)は「生存手段」そのもので、領地を取り上げられるということは、無一文、家族も家臣も養っていけず、将来の展望がまったく見えないことを意味します。
経営的なダメージであるばかりではなく、自身や身内の生死にもかかわり、出世頭の光秀にとっては面目丸つぶれ。
天下統一の見通しが立ちつつある時期です。このまま使い捨てられたり、一族郎党、路頭に迷う危機感から、「窮鼠猫を噛む」精神状態に追い込まれたとしても、おかしくはありません。
ちなみに、ASC(上昇点)の共鳴星は「犯人」そのものを象わします。
蟹宮の共鳴星、「月」は蠍宮にあって、「激しい情動」や「生き残り」をかけた情念を抱いていたことを象わしています。
蠍宮の月ゆえ、逆に、ASC(上昇点)蟹宮が象わす動機が「生き残り」をかけた「身内意識」や「自己防衛本能」と、確信的にリーディングできます。
One-Point ◆ 光秀の精神レベルが低かった場合、蠍宮の月は「怨恨」や「蜂の一刺し」になります。彼もひとかどの人物です。そこまで低レベルではないでしょう。このとき月は、「刃物」や「武器」や「戦い」を象わす火星と衝(180度)をとっており、暴力(武力)による反抗(謀反)を示しています。また月は、太陽や海王星、土星と大三角(グランド・トライン=120度×3)を形成していました。目的は達成されますが、「120度は吉座相」と信じていると、とんでもないリーディング・ミスを招きます。
●事件当日、明智光秀を象わす蠍宮の月は、太陽と海王星が上三分(アッパー・トライン=120度)でした。
これは、「黒幕」でしょうか?
違います。
事件現場を象わすMC(南中点)が魚宮で、海王星はその共鳴星です。
「事件現場」に協力者がいたのです。
それは太陽が象わす中心的な人物、つまりは本能寺の住職かTOPクラスの人物です。
間違いなく今、本能寺に信長がいることを教えた人間です。
行動を読みにくい天王星の合(0度)を持つ信長です。当然、光秀は知っています。
外出や予定変更をしている信長のいない本能寺を攻めてしまえば、逆に自分の首が飛びます。
出生データが不明なために光秀のホロスコープ(出生天球図)はありませんが、事件当日、意識の深層を象わすIC(北中点)は、「潔癖症」で「官僚意識」の乙女宮でした。
光秀にぬかりはありません。確かめてから事に及んだことが分かります。
宝瓶宮占星学による新ホラリー占星学では、IC(Imum Coeli イムン・コエリ=天底:北中点)は、犯罪の奥にある意識の深層を象わします。
IC(北中点)は「乙女宮」です。
乙女宮は「潔癖性」や「官僚意識」を象わします。
IC(北中点)に上三分(120度)の火星は「反抗心」や「衝動性」です。
ここから光秀の深層意識をご賢察ください。
一方、MC(Medium Coeli メディウム・コエリ=天頂:南中点)は、事件の現場を象わします。
MC(南中点)は「魚宮」です。
魚宮は、当時は双魚宮時代なので、そのまま「宗教」現場で問題ありません。
本能寺がそれです。これは分かりやすいですね。
今でも大きなお寺は、お城のようにぐるりと白壁の塀を巡らせていますが、当時の本能寺も当然、そのようになります。
DES(下降点)の共鳴星は被害者そのもの、つまり信長を象わします。
DES(下降点)は山羊宮。
山羊宮の共鳴星は土星です。
月(犯人)=光秀は、土星(被害者)=信長に上三分(120度)をとっています。光秀が信長を殺害したことに間違いはありません。
『入門講座』をお読みの皆様なら、「吉座相」と誤まって思い込むことなく、簡単に理解しリーディングできる内容です。
また土星は、ASC(上昇点)に上三分(120度)をとっていますので、犯行の動機は信長に起因するもので間違いありません。
さらにいえば、土星は、この時代では「土地」、また「組織」を象わします。
信長の組織(軍隊)をもって犯行に及んだことも間違いないでしょう。
結局、「本能寺の変」は、光秀の「単独犯」が色濃く、黒幕の存在は読み取れません。
問題となるのは、太陽と海王星が蠍宮の月(犯人)=光秀に上三分(120度)をとっていることです。
これが「黒幕」を象わす可能性はゼロではありませんが、であれば宗教関係者のTOPしかありえません。
しかし、土星(被害者)=信長が太陽に上三分(120度)をとっていることから、上司を象わす太陽は、黒幕よりも光秀の上司・信長との直接のかかわりを象わすものになりそうです。
もう一つの可能性は、欄外に書いておきます。
One-Point ◆ 「本能寺の変」は、光秀の「身内意識」や「自己防衛本能」による単独犯行です。さすがに蟹宮生まれの信長は、瞬時に光秀のその動機を察したようです。ふつうなら「なぜだ!」とか「光秀め!」となるのですが、信長は「是非に及ばず」と言いました。「(光秀なら)是も非もない」「仕方がない」という、蟹宮らしい信長のすべてを受け入れた最期の言葉です。
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