宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―
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↑ 飛鳥寺近くにある蘇我入鹿の首塚。
●第1稿 : 2023年 8月25日アップ
“ホラリー占星術”は「ホラリー」(時点、設時、時の)の名のとおり、イベントが起きた瞬間のホロスコープからリーディングをします。
古代日本を大きくレジーム・チェンジさせた一大事件「乙巳の変」(いっしの へん)をリーディングしてみようと思いました。
『隋書』などを精読して考察すると、九州倭国は大陸の冊封下から離れて独立し、畿内の小国に自ら吸収合併されるカタチで、7世紀初頭に「統一大和」を形成させたことが分かります。
そのとき、現在の「首相」に相当する「大臣」(おおおみ)と『日本書紀』に記される、事実上の最高権力者“蘇我大王家”の三代目が入鹿(いるか)です。
「乙巳の変」というのは、中臣鎌子(なかとみの かまこ:藤原鎌足)と事件から約23年後に天智天皇となる中大兄(なかの おおえ)らに蘇我入鹿が弑逆(しいぎゃく)されたクーデター事件です。
日付は『日本書紀』に記されているものの、肝心の時間が不明です。
それでもホラリー・リーディングは可能なのでしょうか?
「時間が分からない? それでホラリー・リーディング? バカを言うな!」
“ホラリー占星術”に詳しい方ほど、そうおっしゃるかもしれません。
一般に「時間」が分からなければホラリー・ホロスコープの作成も占断もできないのは常識だからです。
それでも、どうしても「乙巳の変」の真相を確認したいのです。
そこで「快気謝恩!スーパー講座」(基本三数ホラリー・リーディング講座)のついでに“ホラリ”ってみることにしました。
「基本三数」理論を駆使すれば、「太陽」をASC=上昇点の位置におく「ソーラーチャート」から「基本三数リーディング」によって首謀者「中臣鎌子」(藤原鎌足)がなぜ乙巳の変を起こしたのかがみえてきます。
無謀と思われるかもしれませんが「基本三数」理論から可能です。
One-Point ◆ やってみるだけの価値はあります。なぜなら、鎌足の子、天才藤原不比等(ふひと)が実質的に編纂を主導した『日本書紀』に記述される、父が起こした「乙巳の変」の記述に不審な点が散見できるからです。
●夫、舒明天皇のあとを継いだのが皇極天皇(和風諡号:天豊財重日足姫天皇:あめ とよ たから いかし ひ たらし ひめの すめらみこと)です。
翌8世紀の淡海三船(おうみのみふね)は、『日本書紀』に記される和風諡号を歴代天皇の業績や人となりから、漢字2文字の漢風諡号に改めました。
皇極天皇は推古天皇につぐ歴史上2人めの女帝になります。
「天皇」という号は、当時はまだありませんので大王(女帝)です。
皇極大王(女帝)は初の「譲位」と、斉明大王(女帝)として「重祚」をしていますが、そのわりには業績や人となりが見えてきません。
一方、重祚後の斉明大王は、土木工事が大好きで人々から“たわむれ心の溝工事”と謗(そし)られています。
同一人物であるはずですが、キャラが違いすぎます。
下図が、古代日本を大きく変えた歴史的大事件「乙巳の変」のソーラーチャートです。
One-Point ◆ 「乙巳の変」が起きたのは、実在が疑われる皇極天皇(こうぎょく てんのう)の御世です。“皇極”という漢風諡号は、約100年後に付けられたもので、“最後の大王(天皇)”といった意味解釈ができます。
●7世紀初頭に「統一大和」が成立した直後、実権を握っていたのは『日本書紀』に天皇を輔弼する大臣(おおおみ)と記されている蘇我馬子(そがの うまこ)です。
ただし、そのような事実は万世一系を旨とする『日本書紀』には書けません。
そのため、倭の女王「卑弥呼」を共立して“和”がもたらされた故事にならって、統一大和に際して立てられた「推古女帝」を初の女性天皇として、実力者蘇我馬子の業績は通称「聖徳太子」を創作して摂政として描いたようです。
九州倭国が自ら畿内国に吸収合併されるかたちで統一大和を成立させたため、事実上の初期の大王(おおきみ)は、九州倭国を出自とする“よそ者”「蘇我氏」だったわけです。
その三代目が入鹿です。
元畿内国の人間にとっては面白いわけがなく、蘇我氏を滅ぼして政権奪取を謀ったのが「乙巳の変」です。
そんなことは神代(かみよ)の昔から独立国家「統一大和」であって、「万世一系」の天皇だったとする『日本書紀』に書けるはずもありません。
天武天皇の発案による『日本書紀』の意図からしても、早急に国家の体制を整える必要があった編纂当時7世紀の国内外情勢からは、藤原不比等のシナリオは大正解でした。
ちなみに、統一大和の初代大王「蘇我馬子」の代わりが推古女帝で、三代目大王「入鹿」の代わりが皇極女帝を創作して「乙巳の変」を作文したとすれば、すべての辻褄が合います。
『日本書紀』に、「乙巳の変」は次のように記されています。
●『日本書紀』「皇極天皇紀」より抜粋
6月8日、中大兄は(中略)ついに入鹿を斬ろうという謀(はかりごと)を述べた。
12日、天皇は大極殿にお出ましになった。
古人大兄(ふるひとの おおえ)が傍に侍した。
中臣鎌子連(なかとみの かまこの むらじ:鎌足)は、蘇我入鹿臣の人となりが疑い深くて、昼夜剣を帯びていたのを知っていたので、俳優(わざひと)に教えてだまし剣を解かせた。
(中略)
中大兄は自ら長槍をとって大極殿の脇に隠れた。[注:脇って?]
中臣鎌子連は弓矢をもって護衛した。
(中略)
中大兄は小麻呂らが入鹿の威勢に恐れたじろいでいるのを見て、「ヤア」と掛声もろとも小麻呂らとともに、おどりだし、剣で入鹿の頭から肩にかけて斬りつけた。
[注:長槍ではなかったんだ]
(中略)
入鹿は御座の下に転落し、頭を振って、「日嗣(ひつぎ)の位においでになるのは天子である。私にいったい何の罪があるのか。そのわけをいえ」と言った。
[注:日嗣=天皇のお立場を敬って言う辞。
それはそうと、なぜ、当たり前のことをここで入鹿に言わせる必要が…?]
(中略)
天皇は立って殿舎の中に入られた。
佐伯連小麻呂・稚犬養連網田は入鹿臣を斬った。
[注:ふつう天皇直属の臣下をその目前で許可なく斬殺することはない]
One-Point ◆ 本当っぽく描写されていますが、随所に違和感があります。入鹿の「首塚」は“大極殿”があったとされる「飛鳥板蓋宮」から600mも離れた飛鳥寺の近くです。当時、大極殿がすでにあったのかどうか不明です。
上掲の「ホラリー・チャート」のポイント解説です。
細かな部分を除いて、ポイントは次の3点です。
【ポイント1:入鹿の不徳】
弑逆された蘇我入鹿は、最高権力者の地位にあり、実力者だったことが「土星&冥王星&ドラゴンヘッド」の三重合(トリプル・コンジャクション=0/0/0度)などからリーディングできます。
「太陽」に「火星」が衝(オポジション=180度)で、火星がこの三重合=0/0/0度を下三分(ロウアートライン=120度)としていることは、「売り家と唐様で書く三代目」ではありませんが、『日本書紀』の記述とほぼ同じで入鹿の権力と傲慢さを象わしワンマンまた横暴さのある三代目だったようです。
【ポイント2:中臣一族の危機】
首謀者、のちの藤原鎌足こと中臣鎌子は、そんな入鹿に中臣一族の危機を感じ、国や一族を守るために「乙巳の変」を策謀しました。
蟹宮の「太陽&金星」の合(コンジャクション=0度)、また「金星」は運命的なアスペクト・パターンYOD(ヨッド=150/150/60度)の頂点になっていて、その底辺の「木星」と「天王星」が交歓(ミューチュアル・レセプション:M.R.)をとっており、なおかつ天王星もまたYOD=150/150/60度の頂点といった複合パターン、さらにMC(Medium Coeli メディウム・コエリ=天頂:南中点)の上三分(アッパー・トライン=120度)が「天王星」であることからも、革命すなわちクーデターであったことを象わしています。
九州倭国に奪われた機内国大和の政権を奪取するためにも、また中臣一族防衛のためにも、中大兄らをたきつけ、やむをえず「乙巳の変」を策謀したことがリーディングできます。
One-Point ◆ ハウスシステムによる通常の「ホラリー・ホロスコープ」が何をメインに意味し、「太陽」による「ソーラーチャート」が何を意味するのか。「基本三数」から違いが分かっていれば、ホラリー・チャートは相応に可能です。
最後に、3つめのポイントです。
【ポイント3:事件の現場は大極殿ではない】
『日本書紀』では蘇我入鹿大臣を弑逆した場所は“大極殿”に設定されています。
ですが、上掲のホラリー・チャートをみるかぎり、そのような兆候すらありません。
実際は「本能寺の変」のように護衛の少ない蘇我入鹿を、軍隊をもって襲撃し戦いの末に殺害した軍事クーデターであったことが読みとれます。
「太陽」に衝=180度の山羊宮の「火星」になっており、太陽の上方矩(アッパースクエア=90度)が「火星」の共鳴サイン(宮)「牡羊宮」19度となっていることからもそういえます。
事件現場は“軍事組織”(軍隊)が示唆されており、建物の中ではなく外であることからも、太極殿ではなく「首塚」の近辺のようです。
結局、「乙巳の変」は、統一大和の成立に多大な功績のあった蘇我氏を悪者に仕立てて、畿内政権の奪取と入鹿の横暴から一族を守るための軍隊による“クーデター”だったことが象わされています。
One-Point ◆ 上掲のホラリーチャートからは、乙巳の変の真相は“事実誤認”され“誤解”されるものになっています。そのため、史実が明らかになることはありません。策謀によって迷宮入りとなることが象わされていることからも、『日本書紀』による「乙巳の変」は捏造です。
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