宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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●第1稿 2022年11月27日 アップ。
古代イスラエルの影響が日本にあったのは事実ですが、日本人とユダヤ人の祖先が同じとする「日ユ同祖論」は明らかな間違いです。
行方不明となったイスラエル10氏族が、失われた「アーク」(聖櫃)を持って日本に来ることはありません。
都市伝説的に愉しむのはご自由ですが、古代イスラエルとユダヤ教の違いを知れば明白な事実です。
諏訪(長野)にも剣山(徳島)にも、残念ながらほぼ100%、日本には失われたアークが存在しないことは明らかです。
日本に古代イスラエルの10氏族の一部が来た可能性はあるかもしれません。
ですが、ユダヤ教の“ご神体”ともいえる「アーク」(聖櫃)が日本に来ることはありません。
モーセの十戒が記された石板やアロンの杖またマナのツボを入れた「アーク」(聖櫃:キリスト教では契約の箱)は、映画「インディ・ジョーンズ」シリーズの第1作「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」(1981)でも有名で、『旧約聖書』出エジプト記などに記されています。
「古代イスラエル」も「アストロロジー」も、源流は4,000年ほど前の古代メソポタミアの「カルデア」に端を発します。
アストロロジーは、古代カルデア人の天体観測にはじまり、西上して古代ギリシャで四元素説が唱えられはじめた前5世紀以降、ホロスコープとともに発祥しました。
古代カルデア人は、チグリス・ユーフラテス川を下って河口域に新バビロニア王国(カルデア王国)を前7世紀頃に築きます。
このチグリス・ユーフラテス川の上流域にあった「カルデアのウル」を出自とするのが、ユダヤ教やイスラム教が「信仰の父」とするアブラハムです。
One-Point ◆ 歴史が進むにつれて、どんどんと枝分かれしていくアブラハムの子孫たちのお話になります。そのため先に結論を書いておきますと、行方が分からなくなった「イスラエル10氏族」とイスラエル2氏族に由来する「ユダヤ教」は異なるために、アークは日本には来ていません。
「イスラエル」という名前は、アブラハムの孫の「ヤコブ」にはじまります。
天使との組み打ちに勝って「イスラエル」という称号を与えられたヤコブには12人の子供たちがいました。
これがイスラエル12氏族になっていきます。
モーセ(前16世紀または前13世紀)に率いられ、奴隷とされていたエジプトから脱出したのち、彼らはサウル、ダビデ、ソロモンの三代王の時代に、古代「イスラエル王国」(前11世紀-前8世紀)を築いてソロモン王の時代に栄華を極めます。
そのソロモン王が死ぬと「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」に分裂します。
この時点でモーセの十戒が記された石板などを入れたアークは、南ユダ王国のエルサレムの神殿にあるのです。
One-Point ◆ なぜなら、北イスラエル王国の10氏族は異教の神も崇めており、モーセが神から示された戒律を守るユダ族ら2氏族はエルサレムがある南ユダ王国を築き、彼らゆえにその後「ユダヤ教」と呼ばれるようになったのです。
すでにお気づきでしょう。
北イスラエル王国(BC931-BC721)は、紀元前721年にアッシリアに滅ぼされ、10氏族はこつぜんと消えて、一部はシルクロードを経て日本に来たことが移動の痕跡や史料などから分かります。
ですが、アークを“ご神体”とした南ユダ王国はまだ滅びていません。
それゆえアークはエルサレム神殿に安置されたままなのです。
これをイスラエル10氏族が持ちだすのは不可能なことで、失われたアークが10氏族とともに日本に来ることはありえません。
もっとも、南ユダ王国(BC931-BC586)も、紀元前586年に新バビロニアによって滅ぼされ、彼らはバビロンに捕囚の身となってしまいます。
このとき、新バビロニアが没収した一覧の中に「アーク」がなかったことから、失われたアークと騒がれているのですが、「聖書外伝」にはエルサレム陥落の前に持ちだされて洞窟に隠されたと記されているようです。
One-Point ◆ 実際、アークを担いで遠くまで逃げおおせるものではありません。エルサレムかその近隣に隠すはずです。もしくは、東の新バビロニアや西のエジプト方面を避けて、その勢力圏から離れた南のアラビア半島の荒野の方面に持ち出すのがふつうでしょう。
いずれにしても、ユダヤ教のもととなったユダ族またベニヤミン族の2氏族(南ユダ王国)と、そのほかのイスラエル10氏族(北イスラエル王国)とは国家が異なり、一時は争っていたのです。
このことが分かれば、イスラエル10氏族が自分たちの北イスラエル王国が滅んだからといって、南ユダ王国のエルサレム神殿からアークを持ちだすことも、またアークをご神体とするほど戒律を重んじてもいないことから、持ち出してまで逃げる理由がないことがお分かりいただけるでしょう。
もっとも、北イスラエル王国滅亡から約250年後に南ユダ王国は、新バビロニアによって滅ぼされます。
その際、エルサレム陥落前にアークを持ちだして、どこに行ったのか分からない10氏族のあとを追って、たまたま日本に来たというのであればお話は別ですが、そこまで妄想をたくましくすれば歴史は何でもありになってしまいます。
ということで、アークが10氏族とともに日本に来ることはありえないため、諏訪にも剣山にもありません。
ただ、日本をはじめ、古代イスラエル民族の痕跡が残るシルクロードの国や、アフリカのエチオピアなど、アークの形代(レプリカ)と思われる御輿様のものを担ぐ風習が残っているのは事実です。
One-Point ◆ 複数のアークがあるわけではありません。なので、御輿様のものを担ぐ風習が複数の国や地域に残るのは、イスラエル民族の伝統を行事として再現しているからでしょう。そこに本物のアークがあるから行なわれているとはかぎりません。
ここからは余話です。
ソロモン王の時代、父親のダビデ王のときから仲のよかった海の交易集団フェニキアと組んで、世界にソロモンの船団を派遣していました。
約3年に1度の派遣で、鉄などの鉱石や宝石また珍物を求めて、東洋や極東の日本にも約半年をかけて来ていたようです。
火山国の日本は、フォッサマグナのある「糸魚川静岡構造線」や四国を横切る「日本構造線」、また大きな火山の界隈や近隣を流れる川や河口付近には、鉱石また宝石が見つけられたのです。
両構造線が交わる諏訪地方や、西からの黒潮や穏やかな瀬戸内に挟まれ、航海や寄港の便がよい四国などはそのポイントです。
事実、瀬戸内西端部の周防灘〜豊予海峡付近をはじめ淡路島南端部などには、古代イスラエルの痕跡が認められます。
One-Point ◆ 四国は、古代イスラエルはもちろん、忌部氏など古代天皇家とのかかわりが深く由緒ある地です。逆にいえば、それゆえに「アーク」や「邪馬台国」は四国にあったなど妄想を膨らませやすくなっています。
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