宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―
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もう双魚宮時代の過去の話ですから、ど〜でもいいことなんですけど。
でも、人によっては「西洋占星術」か「西洋占星学」かは、重要かもしれません。
そんな「術」と「学」の違いについて触れておきます。
●第1稿 : 2007年08月19日アップ
最近では、「西洋占星術」よりも、「西洋占星学」や「心理占星学」といった”学”のほうが素晴らしいんだと思われている傾向があるようです。「自分のは西洋占星術ではなく、西洋占星学なんだ!」というように…。実はこれって、本物の「西洋占星術」がなくなったってことなんです。
どうでもいいことを書きます。
「術」と「学」の違いです。
俗な言い方をすれば、「西洋占星術」と「西洋占星学」の、どちらが上でエライの? ってことです。
そんな、ど〜でもいいお話です。
ど〜でもいいお話なので、先に結論を書きます。
ホントは、「西洋占星術」のほうが、スゴイんです!
意外ですか?
そんなことありません、西洋占星術って、ホント、スゴイんです。
One-Point ◆ 「いやいや、そんなことはない! やっぱ西洋占星学のほうが上でしょ!」というなら、そうしておきましょ。ど〜でもいいことですから。そういう方は、きっと、これまでホントに素晴らしい西洋占星術に出会ったことがないってことですよねぇ〜。
意味が分かりませんか?
では、もう少し詳しく書きましょう。
「西洋占星学」って大きくは外れないけど、驚くほどスゴクもないんです。
こじんまりとまとまっているって印象です。
これに対して、「西洋占星術」は、めちゃくちゃピンキリです。
レベルが低いものは、「なんだ、コレ? 違うんじゃない!」っていうニセモノみたいな西洋占星術さえあります。
ところが、「ど〜してそんなとこまで分かるんだろ?」っていう、まるで”超能力”みたいなレベルに達するものがあるのも西洋占星術なんです。
最近は、前者か中間ばかりで、後者は見かけませんけどね…。
「西洋占星術」って、それほど個人差が大きいんです。
One-Point ◆ 「西洋占星学」のほうがまとまっているので、理解しやすいのです。そのぶん評価も高くなります。ひるがえって、レベルの低い「西洋占星術」はオカルト的であったり、けっこう身近にありますから、「西洋占星術ってレベル低っ!」となります。未熟だからなんですよね。
●もう一つたとえ話をしておきましょう。
剣術の達人に対して、剣術学の大家が試合を挑みました。どちらが勝つでしょう?
いうまでもありません。「術」は優れてその人自身が身につけた本物の実力です。対して「学」は、理論にすぎません。達人が勝ちます。
「術」とは、理論を超えた実力、感性や技術といった実際に身につけた技能なのです。個人的な力です。
とはいえ、その「術」のレベルが低ければ、「学」以下に成り下がってお話しになりません。その場合は、達人ではないので
素人よりも、学を身につけた人のほうが少なくとも有利とはいえます。そういう程度のお話です。
では、「術」と「学」の違いを簡単に説明しておきましょう。
「術」って、芸術の”術”と同じ意味です。
個人の能力という意味において、技術の”術”と同じです。
対して「学」って、科学の”学”と同じ意味です。
学問の「学」ってことです。
これが「西洋占星術」と「西洋占星学」の根本的な違いに通じます。
たとえ話で書きましょう。
高名な芸術家が、自分の感性と技術を駆使して、素晴らしい芸術作品を描き上げました。
多くの人々が心から感動するオリジナルな作品です。
あまりの素晴らしさに、芸術理論の著名な学者が、その絵の構図や色彩を分析して、素晴らしさを理論的に解き明かして説明しました。
さあ、どちらがスゴイでしょう?
One-Point ◆ 分かりますよね、言ってる意味は? どんなに素晴らしい芸術作品を学問的に理論で説明できたとしても、同じようなレベルの絵を学者は描くことができません。客観的に説明はできたとしても、芸術は優れて個人の技能=”術”の問題なので、簡単にマネができないのです。
「西洋占星術」と「西洋占星学」の関係も同じです。
ホントに優れた西洋占星術師は、その人の卓越した感性と技術で、人生上にも社会的にも役立つ内容やレベルで、見事な占断(リーディング)を行います。
一方、西洋占星学(者)は、その素晴らしい占断がなぜ当たったのか、ああだこうだと分析して、理論や解釈のノウハウを組み立てます。
では、その西洋占星学(者)が自分の解釈やノウハウを活用して、優れた西洋占星術師と同じような占断(リーディング)を行なえるかというと、そうはいきません。
それが西洋占星術の秘密(=仕組み)なのです。
”術”は個人の達したレベルのお話です。”学”は客観的な分析にすぎません。
ね!
先にたとえた芸術作品の例と同じでしょ。
ホンモノの西洋占星術師は、優れた絵を描く「芸術家」と同じなのです。
一方、西洋占星学(者)は、絵は描けないけれども、他人に理解できるよう客観的に分析ができる「学者」と同じです。そういう理論や理屈は一丁前のニセ西洋占星術師(占星術研究家)やサイトは多いので、お間違えなく…。
One-Point ◆ ごく単純な言い方をすれば、星の象意には複数の側面があります。理論や理屈だけでは、どの象意が現実化するか判断できません。学者は複数の可能性があることまでは客観的に指摘できますが、どう現実化するのか感じとれるのは、やはり個人の”術”の領域です。
●皆さんが、西洋占星学の本や解釈をいくら理論的に勉強しても、理論だけで「西洋占星術」は身に付きません。
本物になるには、やはり理論・理屈では計り知れない優れた感性や技術、あるいは直感力といった「術」の力が必要です。それが本物の西洋占星術師ということです。
優れた芸術家や剣術の達人になるには、持って生まれた資質や人並み以上の鍛錬(たんれん)が必要なように、本物の西洋占星術師にも、やはり資質や努力、見えないものを感じとる優れた直観力ともいえる能力が実際の占断には必要です。
ちなみに、双魚宮時代から宝瓶宮時代に、時代の波動は変わりました。過去の「西洋占星術」は今後、どこまでいけるのでしょうか?
双魚宮時代のかつての「西洋占星術」って、そういうものです。
理論や理屈がなくても、魚宮が持っている素晴らしいインスピレーションや霊感ともいえる感性を活用して、素晴らしい占断を行なえるのが本来の「西洋占星術」です。
近代になって、「科学」が発達するに従って、人間は論理的であることを進歩的・知的・優秀とする価値観を持ちました。
「術」よりも「学」であることの重視が始まったのです。
しかし、科学的になることによって、「西洋占星術」の衰退が始まったといっても過言ではありません。
「自分の占いは、西洋占星術ではなく、西洋占星学である、心理占星学である、科学である」と自称する輩(やから)は、そういった流れのナレの果てにすぎません。
大きく間違わなくても、驚くほどではない。双魚宮時代の「西洋占星術」が達するべき本来のレベルから比べれば、たいしたレベルではありません。
One-Point ◆ 現代人は、西洋的科学教育の洗礼を受けています。客観性のない「術」よりも、理論的で誰でも分かる「学」のほうが素晴らしいと信じ込んでいるのです。それは知的偏重教育の弊害の一面でもあります。理論や理屈では説明できない「感性」や「術」、個人の力は重要です。
●すでに、18年前の1989〜1990年に「宝瓶宮時代のビッグバン」が起こりました。宝瓶宮時代は始まったのです。
具体例や詳細は、
→「近未来予測=基礎編」
→「宝瓶宮時代の根拠」
などをご参照ください。
●「西洋占星学」あるいは「心理占星学」は、”学”とはいうものの、基礎理論がないため”学もどき”にすぎません。
また、神秘的・感覚的な双魚宮時代の本来の西洋占星術と矛盾する概念なので、”学”という名の「幻想」なのです。
最後に、なぜ「宝瓶宮占星学」なのか述べておきましょう。
宝瓶宮占星学は、「宝瓶宮時代の新しい西洋占星術」という意味です。
双魚宮時代の「西洋占星術」は、理論や理屈ではなく、優れた直感やインスピレーションによって、真理や真実に迫る魚宮の特質を受けているのが特徴です。
これに対して、水瓶宮(宝瓶宮)は、ない頭を絞って「なぜ?」と神秘現象を理論的に探究して、真理や真実に迫ろうとします。
それゆえ、「宝瓶宮時代の新しい西洋占星術」へのアプローチは、「宝瓶宮占星学」として”学”から始まるのです。
時代の違いによって、「西洋占星術」と「宝瓶宮占星学」というように、アプローチしていくにふさわしいやり方が違うということです。
すでに、宝瓶宮時代は始まりました。
ですから、このサイトも「宝瓶宮占星学」と”学”から提起しているのです。
そのほうが時代の要請(ニーズ)に合うのです。
ただし、将来、皆様の中からこの”学”をベースにして、優れた「宝瓶宮占星術」の”師”(マスター)が現われてくれば、それは当サイトの本望でもあります。
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