宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―
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●第1稿 : 2007年06月09日アップ
●改訂稿 : 2022年03月27日アップ
宝瓶宮占星学の前提となるのが、宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)の到来です。
あまりにも当たり前に感じていたので、宝瓶宮時代の根拠を示すの忘れていました。
宝瓶宮時代とは何なのか?
なぜ宝瓶宮時代が到来したと言えるのか?
それは、いつからで、どうやってリーディングしたのか、といったことを書かなければなりませんよね。(笑)
皆様が、ご納得されるかどうかはともかく書いておきます。
そもそも、「宝瓶宮時代」という時代区分は、何なのでしょうか?
すでにご存じのかたもいらっしゃるでしょうが、それがいつから始まるのかということに関しては、誰も正しい時期を提示しえていません。
牡羊宮の0度が、毎年の春分点からはじまるということを知らない占星術師はいなくても、白羊宮時代がいつからはじまったのか、いつ双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)に移行し、いつ宝瓶宮時代が到来したのかは、まず誰も正しくは分からないようです。
私にとっては、宝瓶宮時代がはじまったことが、あまりにも当たり前のことだったので、そのこと自体を書かなければならないことに気づかなかったのです。
One-Point ◆ あるサイトに「水瓶座時代の到来は西暦2152年から2700年の間です」と書いてありました。その時期に、春分点が星座のうお座とみずがめ座に移動するから、というのが根拠でした。では、へびつかい座に移動したら「へびつかい宮時代?」そんなばかなことはありません。サイトの著者は占星学界の大家? だったらしいのですが、基礎を理解していないのです。
●占星学上のサイン(sign=宮)と、実際の星座(constellation)は、違うことをご存じだと思います。
関係あるといえば、黄道13星座のうち、へびつかい座を除く12星座の名称と12サイン名が共通するだけです。
占星学の12サイン(宮)は、毎年の春分点を起点に、正確に30度ずつ区分されるもので、実際の星座の位置や幅とは、まったく関係がありません。
オカルトチックな占星術師なら知らなくてもいいのですが、占星学研究者なら常識です。
太陽は、へびつかい座の上を2週間ほど通り(黄道)ますが、へびつかい「宮」というのはないことからもご理解できるでしょう。
※ちなみに「13星座占い」というのは、星座とサイン(宮)を同じだと勘違いした間違いです。
なぜ「1989年に宝瓶宮時代ははじまった」のか、その根拠を示したいと思います。
その前に、ご存じの方は退屈でしょうが、宝瓶宮時代を規定するプラトン年について簡潔に述べておきます。
地球の歳差運動(自転軸の首振り運動=25,920年で一周:計算値)によって、春分点も少しずつズレて、太陽の通り道である「黄道」上を25,920年かけて一回りする宇宙的周期を「プラトン年」(グレート・イヤー)といいます。
このプラトン年を12に分けた2,160年が「プラトン月」(グレート・マンス)です。
それぞれのプラトン月は、12サイン(宮)と同様の名前で呼ばれています。
その一つが宝瓶宮時代(水瓶宮時代)で、…白羊宮時代(はくようきゅう じだい)→双魚宮時代→宝瓶宮時代→磨羯宮時代(まかつきゅう じだい)…と、通常のサイン(宮)の順番とは逆まわりに進んでいきます。
太陽の通り道である「黄道」が、天の「赤道」を南半球から北半球へと進むとき交わる昇交点=春分点(降交点=秋分点)が、12サイン(宮)とは逆に移動していくからです。
ところが、「春分点の起点」はいつなのか、誰も明確にしえていません。
そのため、「プラトン年ってどうよ?」、「宝瓶宮時代って、ホントにはじまったの?」と、混乱しているのです。
One-Point ◆ 「プラトン年」は、ギリシャの天文学者ピッパルコス(紀元前190頃〜紀元前120年頃)によるものです。彼は、西洋占星術にも大きな影響を与えた天文学書プトレマイオスの『アルマゲスト』という本の中で最も多く引用されているのです。彼自身の著書はありませんが、その天体観測や発見が一等高いものであったからです。
●ピッパルコス
(紀元前190頃〜紀元前120年頃)
「春分点の起点」といった場合、白羊宮時代と双魚宮時代の境にあるとするのが妥当です。
そこが毎年の春分点、牡羊宮の0度にあたる位置だからです。
占星学では、土星外惑星(トランスサタニアン:天王星、海王星、冥王星)の発見時の時代背景やエピソードから、その星の象意を考慮します。
不思議なことに、実際にその星の象意とエピソードに類似性(共鳴)が見られるので、半ば慣例となっています。
であればこそ、「春分点の起点」は、プラトン年を発見・提起したピッパルコスの生存中に求められるべきです。
話はズレますが、私が初めて「宝瓶宮時代」という言葉を目にしたのは、ルル・ラブア著『ホロスコープ入門』(プレイブックス 1972)の初版を購入したときでした。
そこには、次のように書かれていました。
――現在、世界は「宝瓶宮時代(アクアリアン・エイジ)」に突入していると言われています。「アクアリアン・エイジ」とはプラトンの時代から提唱されていた宇宙的周期のことで、この時代には地上のすべての悪が一掃され、世界に平和と人類愛がよみがえって来ると言われています。――
この時点(1972年)で、すでに宝瓶宮時代が訪れていたかのような記述ですが、多分、ブロードウェーにおける初めてのロック・ミュージカル「ヘア」の主題歌が影響していたのでしょう。
1969年、6週連続全米No1、曲名どおり、グラミー賞を獲得する大ヒットに輝いたその曲こそ「アクエリアス〜レット・ザ・サンシャイン・イン」(日本名:輝く星座)だったのです。
宝瓶宮時代の黎明(れいめい=夜明け)を高らかにうたっていました。
初めて買ったレコードがビートルズの「Ob-La-Di Ob-La-Da」で、次が「輝く星座(アクエリアス)」だったので、よく覚えています。
One-Point ◆ 著作権があってあまり書けませんが、「月が第7室にあって木星が火星とともに並ぶとき…宝瓶宮時代の黎明…調和、理想の暮らし、真の自由…、宝瓶宮時代よ」といった意味の歌詞です。水瓶宮生まれの私にとっては、「宝瓶宮時代」の記述も、「アクエリアス」という曲にも、注意をひきつけられ、興味を持ちました。
閑話休題。
その後、西洋占星術の勉強をしていくうちに、あまりにいろんな解釈や技法があって、現代占星術が混迷していることに疑問を持ちました。
これは自分で納得いく正しい解釈を確立するしかない、と感じたのです。
また、占星学の解釈や時代区分で人類文化歴史を見ると、面白いほど類似性が見えてきました。
それだけでなく、占星術自体も変化していることに気づいたのです。
ならば、新しい宝瓶宮時代の訪れとともに、占星学も、宝瓶宮時代の象意によって新しく変わらざるをえないと確信しました。
問題は、いつからが宝瓶宮時代かということです。
ヒントは2つでした。
1、次のサインの影響は、前のサインの25度あたりから現われはじめるということ。
2、もう一つは、「ビッグバン」を象わす座相があるということです。
前者は、だいたいほとんどの西洋占星術関係者なら知っている解釈です。
後者は、私が基礎理論をもとに新しい解釈を確立する上で見えてきたものです。
One-Point ◆ 人類の叡智とも言える占星学を、正しく実際の社会に応用展開するには、占星学以外の宇宙や人間に関する基本的な理解が必要です。他のページにも書きましたが、「バックボーン」が重要なのです。そうすると、占星術の象意を社会事象に当てはめて、次々と見抜くことができるようになります。
●1999の年7の月、恐怖の大王が天より降り立つ…。
大占星術師と喧伝されるノストラダムスの予言は、地球最終戦争・ハルマゲドンなどと騒がれ、人類は滅ぶ! と流言されました。
そのとき、西洋占星術で大凶角とされる不動のグランドクロスが、冥王星を除いて形成(1999.8.18)されるからということでもありました。
結局、まったく何事もなく過ぎ去っていきました。
なぜでしょうか?
答えは簡単です。
1、冥王星を欠いたグランドクロスに、大変革の迫力はないのです。
2、グランドクロスとはいうものの、座相の許容度(幅)が広すぎます。
3、宝瓶宮時代が始まり、星や座相の吉凶はなくなっていたからです。
これが1989年以前なら、冥王星が含まなくとも、人為次第で、米ソ世界核戦争の可能性はあったでしょう。
しかし、宝瓶宮時代の到来により時代の波動が「友愛」に変わることによって、同1989年ベルリンの壁が崩壊。2年後ソ連も崩壊することによって、米ソ対決は一応の決着をみました。
占星学的にも、このことによって西洋占星術の解釈は実質上、終わっていたことに気づかなければなりません。
さて、2,160年間のプラトン月を「30度」とするとき、25度は1,800年になります。
つまり、双魚宮時代の25度は、宝瓶宮時代が始まる約360年前なのです。
そのころから宝瓶宮時代の影響が、人類歴史に現われはじめました。
双魚宮時代というのは、その象意に基づいて、宗教、哲学、思想が人類を導いてきました。
宝瓶宮時代の影響圏がはじまって以降、その象意に基づいて、科学、革命(反体制)、自由・平等といった社会改革によって人類歴史が進んでいったのです。
そういった社会変革が人類歴史においてはじまったのは、17世紀、つまり1600年代になってからです。
主な出来事は、記述が重複しますので、「近未来予測=基礎編」や「宝瓶宮時代の到来」などをご高覧ください。
次に、「ビックバン座相」ですが、もっとも顕著に現れるのは、蠍宮(第8室)であり、それをもたらすのは冥王星です。
冥王星は、時代に大きな影響を与えているのはご存じでしょうか?
しかも、蠍宮の中でも、ど真ん中15度でなければなりません。
1930年に発見されて以来、冥王星が初めて蠍宮の15度に重なる時期、それが1989年、太陽が水瓶宮に位置したときです。
このとき、折りしも双魚宮時代から水瓶宮時代にバトンタッチするように、海王星(魚宮の支配星)、土星(かつての水瓶宮の支配星)、天王星(現代の水瓶宮の共鳴星)は、山羊宮にあって、順番に11度、9度、3度とコンジャンクション(合=0度)を形成していたのです。(1989年2月1日の時点)
この時期を宝瓶宮占星学では、「宝瓶宮時代のビッグバン」と名付けました。
宝瓶宮時代のはじまり、0度です。
「宝瓶宮時代のビッグバン」を境に、天が開けたかのように、一般の人々にも宝瓶宮時代の影響(感覚)が現われはじめました。
それまでの約360年間は、限られた宝瓶宮時代の先覚者によって、旧勢力の激しい抵抗に遭いながらも、宝瓶宮時代の社会改革が次々と進められてきた前史です。
しかし、宝瓶宮時代のビッグバン以降は、すべての人々に宝瓶宮時代の波動が降り注がれはじめたのです。
One-Point ◆ 皆様は蠍宮の不思議な性質をご存じですか? ヘビのように執念深く嫉妬深いタイプと、素晴らしく高尚で霊性さえ持つタイプとに二分することがあるのです。あるいは、そういう高い昇華を見せるサインです。これを人間ではなく、逆に宇宙の側から見ると、質から量への転換=ビッグバンになるのです。分かります?
そろそろ結論づけましょう。
1989年頃に宝瓶宮時代がはじまりました。
そのため、国際・政治・経済・社会・科学・芸能といった分野で、それを裏付ける出来事が次々と起こったのです。
一例を先の「近未来予測=基礎編」のページで挙げておきましたので、まだの方は、ご高覧ください。
ビッグバンから逆算して、双魚宮時代の25度にあたる360年前は、1630年頃です。
実際、そのあたりから「宗教」からの解放ともいうべき、地動説などの近代科学の発展や、個人の自由と平等を求める社会改革運動が次々と起こっていきました。
その後、次第に現在、私たちが生きている自由民主主義の社会体制や、電気や情報の科学技術社会が築かれていきます。
これら“科学”や“自由”や“平等”また“民主主義”や“電気”が、水瓶宮やその共鳴星・天王星の象意であることに気づけば、お話は簡単でしょう。
では、さらにさかのぼって、双魚宮時代のはじまりはどうでしょうか?
宝瓶宮時代のビッグバンから、プラトン月の2,160年(計算値)をさかのぼると、紀元前170年頃になります。
ちょうど、プラトン年を提起(発見)したピッパルコスの生存中です。
左の欄外にも書きましたが、牡羊宮の0度にあたる双魚宮時代のはじまり、つまり「春分点の起点」を、発見者やそのときのエピソードに求めるのは、占星学の慣例であり、実際の象意との不思議な一致でしょう。
さらに、そこから360年前、つまり白羊宮時代の25度あたりから、双魚宮時代の影響が出はじめるのですが、ちょうど、メソポタミアに発祥した占星学が、ギリシャに持ち込まれはじめたあたりです。
ここから、ギリシャの賢人らによって双魚宮時代のアストロロジー(通称:古典占星学)の揺籃(ようらん)を迎えるのです。
東洋では、双魚宮時代をリードしていく儒教思想や仏教が起こったのも、この頃からです。
すなわち、歴史的事実、占星学の時代区分、占星術の象意とが、ほぼ矛盾なく一致するため、「宝瓶宮時代」は1989年頃にはじまった、と結論づけたのです。
One-Point ◆ 信じる、信じないは皆様のご自由です。現代占星術自体が、信じることからはじまっているのです。性格や運勢や出来事と、いくばくか類似する部分があるため、“当たる”と信じ込んでいるのが占術師です。宝瓶宮占星学は、事実を見つめ、宝瓶宮時代の到来を宣べ、占星学の適用範囲を見極めます。そのうえで宝瓶宮占星学を「実学」として展開していこうとしているのです。
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