宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

★ 建国記念の日 特別編6 ★
古代史を解く「縄文文明」
― かの国との関係イントロ ―

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今回は「縄文文明」そのものに深く触れるわけではありません。
ですが、かの国々の「民族性」と「国体」とをご紹介しながら、
「縄文文明」に古代のかかわりを解くヒントがあることをご紹介します。

大陸や半島からの単立統一国家「大和」


●第1稿 : 2016年 2月11日 アップ


恒例の「建国記念の日 特別編」です。
今回は、占星学からみた日本、中国、韓国と、その国民性の違いを古代にまでさかのぼってお届けいたします。
人の好い日本人の民族性「魚宮」ともあいまって、戦後は「自虐史観」が「GHQ」や「進歩的文化人」と呼ばれた左巻きの学者、マスコミ、日教組学校教育によって刷り込まれてきました。
戦後、共産主義化の嵐をはじめ、「反日」に転じた韓国、また歴史学者やマスコミなども一因して、「反論」することができない社会風潮が続き、結果、日本の歴史は古代にさかのぼって歪められてきました。

《 「相手」は自分の「鏡」? 》

最初に、当然のことをご理解ください。
日本人は、歴史の真実を追究しようとします。
また、人との約束を守ることは善で当たり前と教えられています。
それが当然で、ここに疑問をはさむ日本人はいません。
それが何を意味するのかと申し上げますと、当然、海を隔てているとはいえ、容姿も肌の色も似ている「かの国の人々」もまた、同じだと考えるのです。
日本海や玄界灘があって直接、接することが少ないためでもありますが、かの国の人々も当然そうだと信じています。
日本人と同じように歴史のウソはいわない、約束も守ると考えているのです。
そうとらえてきたのが民度も高く信頼できる日本人どうしです。
では、本当に彼らも日本人と同じでしょうか。
答えは、すでに多くの方がご存じです。
中国人の場合、歴史は「手段」でしかありません。
「真実」を追究すべきものではなく、むしろ自分(政権)の都合のいいように作文するものだといえます。
つまり、国内統治や外交の道具にすぎないのです。
信じられないかもしれませんが、理由は「国家」という概念がうすいためです。
日本人のように「お国のために」という意識はありません。
国家さえ、「自分」(家族)を生存させ、利益を得るための手段でしかありません。
そういったメンタリティーのために、「歴史の事実」は作るものと考えています。
やや極論ですが、「自分」(家族)でしか物事をみないので国家や歴史は絶対ではなく、自分(家族)を守ってくれればいいのです。
なので、もし中国で「大統領選挙」をやったら、みんなが自分の名前を書くといわれるほどです。
これは、中国の民族性が「蠍宮」で、国体が「獅子宮」であることからも、確実にそういえます。
つまり、中国人が日本人をみたら、日本人も自分たちと同じように「歴史を作りかえている」と考えます。
ここで重要なご質問です。
以上のような両者が歴史を語った場合、どちらの歴史が「正しい」と日本人は思うでしょうか。

One-Point ◆ 「誰でも自分をみるように相手をみる」、「誰でも自分の文化のフィルターを使って世界をみている」、これは事実です。一般的にも、たとえば感情的になって相手を「○○!」というとき、冷静にみれば実は自分自身が「○○」というレベルであることが多いのです。自分では気づかなくても、案外と多いケースです。なので、結論的に、かの国々の「歴史観」は日本人とは著しく異なるので注意が必要です。


広い大陸ゆえ何でもオーバー

●「中国人はスケールがでかい」といえばホメ言葉ですが、両極端の民族性なので「ウソ」も大法螺をふきます。
白髪三千丈とばかり、平気でおおげさに書くことがあります。
「中国4千年の歴史」?
中国(中華人民共和国)の歴史は、たかだか66年にすぎません。
もし「ロシア数千年の歴史」といったら誰がうなづくでしょうか。
現ロシアは、ソ連崩壊後、20余年の歴史です。
旧ソ連やロシアは、同じロシア人が支配していてもです。
ところが中国大陸は、つねに支配民族が変わります。
現在の「中国」の前は、孫文の「中華民国」でした。
今の「台湾」(中華民国)です。
その前は「清」で、ヌルハチが初代(太祖)です。
ヌルハチという名前からわかるように、中国人(漢族)ではなく、女真族(満州人)です。
清は、今のモンゴルまでも含めて、大陸を約300年近くも支配し続けました。
また、「元」ことモンゴル帝国は、モンゴル人が大陸を支配したときの国名です。
いずれも中国人とされる「漢民族」以外の国家です。
ちなみに、中国人の90%が漢民族だといわれますが、これも彼らの詭弁で、実際はそんなにいないでしょう。
いずれにしても、300年と国が続かず、常にころころと変わっているのに、「中国4千年の歴史」? 「韓国5千年の歴史」?
かの国々はそういう「歴史のウソ」をつきます。
それを、長い歴史をもつ日本人は、自分たちと同じように、「かの国々」もそうだと信じてしまうのです。

《 「約束」は破るもの? 》

もう一方のかの国、朝鮮半島(以下、半島人)をみてみましょう。
半島人も、小中華といわれるだけあって類似しています。
また彼らにとって「約束」は、守るものではなく「勝つ」ための手段です。
古代にも、近年も、また現在も、そういった事例は数多あります。
これも半島人、たとえば韓国の場合、民族性が「蟹宮」で国体が「牡羊宮」であることから確実にそうリーディングできます。
詳しくは、中国とともに後述いたします。
日本人のように約束は守るもので、それが「善」だという価値観はありません。
自分が有利になる、また勝つことができるのであれば、その間は「守る」かもしれません。
しかし、勝てばいいので、勝つために「約束」はかんたんに破ります。
中国人の「歴史観」と同じように、半島人の約束も「手段」にすぎません。
「約束」という言葉がピンとこないなら、国家間の「協定」や「条約」と考えてもかまいません。
同じです。
「道徳的」かつ「倫理的」に守るべきものとは考えていませんので、「勝つ」のための方便です。
これが何を意味するのかといいますと、日本人も自分たちと同じように「いつ約束を反故にするかわからない民族」ととらえています。
なので先に破られて、自分たちが不利にならないように、機をみていつでも約束を破ります。
こういった半島人にとって、ホンネはダマされるほうが「マヌケ」なのです。
善意の日本人からはまったく理解ができません。
「なぜ?」「ひどい」と思いつつも、「きっと何か事情があるのだろう」などとお人好しに考えてしまいます。
個人の体験からもそうでしたが、日韓や日朝の歴史からも、その繰り返しなのは、もはや衆知の事実です。
そういった違いを心から認識しないと、かの国々の人々とビジネスや外交を行なうことはできません。

One-Point ◆ 日本人のなかには、ここまで書いても「ホント?」と思う方がいそうです。日本人の民族性「魚宮」と国体「水瓶宮」は、心のどこかで「人はみな同じ」と思っていたり、また「人類はみな兄弟」と考えていますので、純粋であるほど認知できないのです。それが日本人の良いところや特徴なので、個々人においてはいいのですが、企業や国家の運営に携わる立場にある場合、そうもいってられません。

《 かの国の「民族性」と「国体」 》

以上を占星学から解説しておきます。
ちなみに、一個人と国家の象意の出方は異なりますので、同一人格をもった「個人」に必ずしも当てはまるとはなりません。
別人格の集団である「国家」の場合、そうなりやすいというお話です。
ここは重要なので、お間違えのないようにお願いいたします。
まず中国です。
すでにほかのページでも書きましたが、中国の民族性は「蠍宮」で国体は「獅子宮」です。
国家の「現体制」は、そのときどきによって変わりますので、一定ではありません。
今回は関係ないのですが、現在の中国の現体制は意外にも「天秤宮」です。
中国の民族性と国体を簡単にご説明しておきます。
民族性の「蠍宮」は、恋人や配偶者また家族といった近親者との心身ともの強い「一体感」を切望します。
これが中国人にあらわれた場合、たとえば華僑のように強く信頼しあうが裏切りも絶対に許さないといった絆や掟としてあらわれます。
さらに「蠍宮」は、激情ともいえる強い「情動」を内面にもちます。
それが言葉になってほとばしると、日本人からは「ケンカ」しているような会話に聞こえます。
次に、国体の「獅子宮」は、太っ腹や高潔な応対をみせることがありますが、自分が中心でなければ気がすまない「王様」気質や「女王さま」気質をもちます。
これらは、自分が世界の中心であるという俗に「中華思想」となってあらわれます。
「獅子宮」は、「自我意識」が強いために、ありていにいえば人よりも、良し悪しはともかく「自分」です。
それが良いほうに向けば自分自身を高めていくことになりますが、逆に悪いほうにでれば「自分中心」や「ワンマン国家」になります。
中国は、そういった国体をもつのです。
問題は、このような「蠍宮」の民族性と「獅子宮」の国体が合わさったことです。
国家もそうですが、人民(国民性)においても、他人よりも「自分」や「家族」を最優先に考えます。
なので日本人のように「国家意識」だとか、かつての「特攻隊」のように自らの命を国のために投げ出すというようなことはしません。
ただし、蠍宮も獅子宮も「プライド」が高いので、自分のプライドを守るために命を断つことはあります。
そういった中国なので、指導層やTOPクラスが、自分の家族を密かに海外の国籍にして、賄賂などで蓄えた膨大な資産を移したり、自分の身が危うくなったときや中国が崩壊したときに備えているのもそのためです。
一方、韓国は、「蟹宮」を民族性とし、「牡羊宮」を国体とします。
他人に気をつかう蟹宮らしく、周囲に気を配り、受身的にへりくだる「従順性」(従属性)をみせる民族性をもちます。
その一方で、反発心が強く、攻撃的な牡羊宮の性質によって、「勝ち負け」にこだわる国体をあわせもちます。
よくいえば純粋で素直なのですが、逆にいえば単純で感情を正当化して猪突猛進する国民性になります。
つまり、「情」が深い民族性ながら、「勝つ」ことを命題とするために、民度やレベルが低いと、「勝つ」ために手段を選ばず、「約束」を破る国家や国民性になります。
大きな歴史の流れでいえば、戦前はロシアや清を破った「日本」につき、日本が先の戦争で負けると日本に勝った「アメリカ」につき、昨今は「世界第2位」の経済国家といわれる「中国」にすりよる「従属性」を発揮しつつ、その実は「勝つ」ことをめざした国策や外交を展開します。

One-Point ◆ 書いている内容はご納得できますでしょうか。いずれも矩(スクエア=90度)の位置関係の民族性と国体をもつためです。中国の場合は「蠍宮」と「獅子宮」、韓国の場合は「蟹宮」と「牡羊宮」です。個々人の場合はともかく、国家においては「二面性」や「異なる顔」(側面)をもつことを意味しますので、一面だけをみると間違います。かの国々自体においても、常に葛藤している状態で、一貫性がとれません。そういったことを見越した外交やビジネスが重要です。


日本史は『日本書紀』がメイン

●歴史記録には、確かに少なからず間違いはつきものです。
かの国々の正史もそうですが、『古事記』や『日本書紀』も100%正しいとはいえません。
ですが、史実と違った箇所があるにしても、また意図的に異なる事実を残した箇所があるとしても、そこにはそう記された理由があるのです。
そういった事情を解き明かして、真実を解明していくのが歴史研究です。
中国の歴史書に書かれていないので、事実がわからない。
というなら、日本の歴史研究家としての資格はありません。
『古事記』や『日本書紀』にちゃんと4世紀の記録が残っている、もしくは推測できるのですが、『三国史記』の年代記述のほうが正しいとしたり、「日本が半島を支配したはずがない」と思っているので、史実が見えてこないのです。
つまり「空白の4世紀」にしたほうが、「かの国優先史観」の学者にとって、都合がいいのです。
そういった学者や歴史マニアにかぎって、すでにウソと解明されているにもかかわらず、日本のルーツは大陸や半島だと結論づけます。

《 「空白の4世紀」って本当? 》

このことが理解できますと、かの国々と「共通(真実)の歴史認識」をもとうと会議を開いたり、共同研究をしても、一致をみることはできないことがみえてきます。
要は、時間と経費の無駄なのです。
それが歴史にかぎらず、ほかの分野でも同様になる場合が多々あります。
また、会議や共同研究を「話し合い」という言葉にかえても、似たり寄ったりのことがおきますので、まともな話し合いもむずかしいので困ります。
まして、戦後、占領軍GHQによる「WGIP」(War Guilt Information Program)いわゆる“先の戦争に罪悪感を植えつける宣伝計画”をはじめ、それに乗じたかの国々にシンパシーをもつ左翼的な反日学者や反日マスコミによって、「日本よりも大陸や半島のほうが優れている」といった“日本劣等”の歴史認識をイン・プリンティングされました。
“日本のすべては大陸や半島からわたってきた”とする教育です。
マスコミや学者また政官あげての動きに、戦争に敗れ、もともと人の好い国民は、それを信じ、“日本=悪”“かの国=善”と心のどこかで思い込まされてきました。
たとえば、彼我の歴史解釈に違いがあった場合、かの国の歴史書のほうが正しいと無条件で信じます。
いくつか例をあげてみましょう。
8世紀に書かれた『日本書紀』と、13世紀に書かれた半島の正史『三国史記』があります。
両書の「天孫降臨神話」が似ていると強弁する学者や歴史マニアがいて、「日本が韓国の神話をまねた」「日本のルーツは半島」と決めつけます。
また年代にズレがあると、『三国史記』のほうが正しく、本当は3世紀ではなく5世紀だと無条件で決める歴史解釈もあります。
本当に?
『日本書紀』のほうが古いのです。
3〜5世紀の記述の違いについては、当時から800年〜1,000年ほども経って書かれた『三国史記』のほうが、200年〜400年しか経っていない時期に書かれた『日本書紀』よりも正しいとみるのです。
ほかにもあります。
『魏志』に残る3世紀の卑弥呼や邪馬台国の記録と、その後の『宋書』に残る5世紀の倭の五王の間の記録が中国の歴史書にみあたりません。
そのことから、「空白の4世紀」といったいい方をします。
ほんとに?
『古事記』や『日本書紀』には、連綿として4世紀の皇統やエピソードが記されているのです。
なぜ「空白」?
中国の歴史書にないから、日本の歴史を「空白」と呼ぶ歴史家や歴史マニアは、どこの国の歴史を研究しているのでしょうか。
日本の歴史をハナから信用していない歴史家の解釈や記述が、どこまで信用できるのかは当然、疑問です。
これは“3世紀の記述は5世紀のもの”としたことによっても生じています。

One-Point ◆ 彼らが、半島がルーツであるとか、文化や技術を日本に教えたというとき、事実は逆です。日本のほうがむしろ“ルーツ”といえばそうなります。第三者の中国の正史『魏志』にも、古代半島人は日本(倭)の文化や技術を「敬仰」していた、とわざわざ記しているほどです。半島の学者はもちろんそうですが、戦後の反日(左翼)学者やマスコミは、あえて触れないように黙殺したり、信用できないとウソぶいて、日本国民につまびらかにしようとしないのです。


もはや「半島がルーツ」は間違い

●いまだに半島がルーツだと考えている人がいます。
最新の歴史研究を読まれたほうがよいでしょう。
すでに「間違い」だと証明されています。
双方の古代の歴史書をよくみても、また考古学研究やDNA研究をみても、それは同様です。
もし、半島人が日本人のルーツなら、半島や大陸にはないDNAをもつ日本人が、日本国内にもっとも多いことをどう説明するのでしょうか。
また、文化をふくめた稲作も半島人が日本に教えたというのも間違いで、それなら半島の稲作よりも、はるかに古い縄文時代の器から、なぜイネの籾殻がでてくるのでしょうか?
このことは、イネのDNA研究からも明らかです。
なかには、「日本」という国名は半島人が命名したという人におよんでは、頭がオカシイ…。
自分たちが、「朝鮮」という国名を「明」の皇帝に決めてもらったことの裏返しとしかいえません。
「日出処の天子」と倭王タリシヒコが独立のあいさつを隋の煬帝にしたように、自ら「日本」と名乗ったのです。
天皇の出自が半島というのも真逆です。
本文に書いたように、古代半島(新羅)の王は、日本(列島)からきたという記録が、高麗までの自らの半島史を記した正史『三国史記』に残っています。




参考:真名井神社の「龍」

●脇に真名井の井戸がある階段の登り口に左右一対で鎮座する「龍」の像。

《 日本人と新羅の王 》

古代半島の正史『三国史記』には次のようなことが書かれています。
1世紀に倭国の北東千里にある「多婆那(たばな)国」から来た倭種の王子が、新羅の第4代国王になった。
この脱解(ダレ)という王は、子孫を幾代か新羅王に排出しています。
また、金王室を生んだことも書かれています。
べつに威張ることではありませんが、古代半島の王に日本人がいたのです。
韓国の学者は無視しますし、日本の歴史学者もこれまでの自分たちの説が崩壊しますのであまり語りません。
反日マスコミももちろんです。
結果、「日本のルーツは半島」といった戦後の思い込みが一部とはいえ今も残ります。
ちなみに『三国史記』というのは、古代半島にあった「新羅」「高句麗」「百済」の三国のことです。
半島を統一した新羅が、のちに新たな「高句麗」に国をゆずって「高麗」に再統一されるまでの半島史を記録した正史です。
では、「1世紀」に倭国の北東千里にあった「多婆那(たばな)国」とはどこでしょうか。
まず年代は、1世紀ではなく王の即位年代が長すぎることから、3世紀前後と考えられます。
当時の「倭国」というのは、九州北部なので、そこからみた東北約1千里に位置する日本海側の国になります。
ちなみに、当時は倭国だけではなく、出雲にも、北陸にも、もちろん近畿にも、また四国や瀬戸内海沿岸にも相応の勢力をもった国がありました。
ただし当時、「倭国」として記録されたのは北部九州しかなく、そこから海を経た本州側の日本人は、「みな倭種なり」と記録されています。
倭国からきたなら「倭人」ですが、脱解(ダレ)は「倭種」なのです。
その脱解王のもとで、今でいう首相をつとめた「瓢公」は「倭人」と書かれています。
なので、瓢公は「倭国」すなわち北部九州の出自です。
その「倭国」から東北千里の倭種の国は、「たばな」という国名から、古くからの籠神社(真名井神社)がある元伊勢こと海人族の拠点の一つだった現在の「丹波」(たんば、たには)を想起させます。
一方の野史『三国遺事』には、「龍城国」とも呼ばれたと書かれています。
かつてダビデの紋章があったことでも知られる真名井神社の入口には、玉をもった1対の龍があることからも関係がないとはいえません。
推測でいえば、3世紀後半に「神武天皇」になぞらえらえた大王(多分、武内宿禰)が丹波や畿内国を治めたさいに、流された王子ではないかと考えています。
そのため新羅は、半島南岸の「倭国」に敵対する関係をとります。

One-Point ◆ 脱解王や瓢公は、『三国史記』の最初のほうに出てくる記録ですが、韓国人はもちろん、戦後の日本の歴史学者が紹介することはほとんどありません。先輩教授の半島由来説や自らの学説を否定することになり、立場を失ってしまいます。むしろ野にある歴史家やマニアのほうが、ネットや動画などで紹介しています。


「倭国」は北部九州しかない

●卑弥呼がいた「倭国」は、あくまでも北部九州の一地域です。
絶対的に、偏った歴史学者の大勢が示すように、大和(機内、日本)ではありません。
最近のアンケート調査でも、倭国にあった「邪馬台国」は、日本国民の54.4%が九州と答え、近畿は35.7%にとどまります。
占星学と解く日本成立史」「占星学から解く日本の原点」にも書きましたように、『日本書紀』は、「独立日本」と「天皇による臣民一体の統一国家」を編纂の意図としています。
そのため、神代から「大和(畿内国)の天皇」を中心とした独立統一国家として描かれています。
そういう事情から、魏や晋の冊封下にあった九州の「邪馬台国」や「卑弥呼」また「台与」を、歴史の記述から消し去りました。
もし、そうではなく、邪馬台国が自らの大和「畿内」であったら、自分たちのことなので、『日本書紀』には、何かの形で残されていたはずです。

《 世界に特異な「縄文文明」 》

古代を正しく知るには、縄文文明の本当の姿を理解する必要があります。
昨今、1万年も続いた縄文文明が、人類歴史の解釈を変えるといった驚きの目でもって注目されています。
誰でも「世界四大文明」と学校で教わります。
しかし、チグリス・ユーフラテス川流域に栄えたメソポタミア文明は間違いないとしても、そこにエジプト文明、インダス文明、黄河文明を加えて「四大文明」とするのは正しくありません。
うがった見方をすれば、「世界四大文明」説をとなえた中国人が、自分たちの文明を世界に誇れるものとするために詐称したのかもしれません。
それよりも古く、世界に類をみない独自の「縄文文明」はもちろん、ほかにも文明は世界各地でみられます。
「縄文文明」が研究され、見直しがすすむキッカケとなった代表例は、青森の広大な「三内丸山遺跡」です。
三内丸山にかぎらず、周囲をぐるりと海に囲まれた日本では、海はもちろん、豊かな自然を生活の場とした古代海人族をはじめ、農耕に頼らない縄文文化が花開いていました。
それがなぜ、これまで「文明」とされてこなかったのか、理由は簡単です。
歴史記録(文字)を残さなかったからです。
「文化」また「文明」というのは、語源をみても「文」すなわち「文字」や「記録」にかかわります。
上古の「文字」や「記録」が粘土板にでも残っていれば、そこに文明があったことがわかります。
しかし、最近では、DNAや放射年代測定など、進歩してきた考古学による遺跡研究によって、「文明」の存在が明らかになってきているのです。
「縄文文明」もそのひとつです。
農耕をしなくても、文字がなくても、安定して食料を得たり、居住生活環境を整えたり、技術を後世に伝えるなど、千年以上も定住することができたのが三内丸山遺跡だと明らかにされました。
その理由のひとつは、優れた漁の技術と航海術による交易です。
またひとつは、栗林などを計画栽培していたことがDNAから明らかになっています。
そういった知識や技術にかぎらず、共同生活の「精神」を、縄文人はすでにもっていたのです。
さらには、優れた土器製作による煮炊きや保存技術です。
ほかにも、縄文時代全般でいえば、芸術的な加工をみせる火焔土器や土偶なども例外ではありません。
また、かつては中国からの伝播だと思われていたクギ(鉄)を使わない建築技法が、縄文時代の遺跡から発見されたことで、上古からの日本の技術であることが明らかになりました。
やや時代はくだりますが、製鉄にしても同様です。
古代の半島南岸部は倭国の領地で、半島でも鉄がとれたことが記されています。
その時期、半島人は溶けた鉄を鋳型に流し込んでつくる「鋳造」(ちゅうぞう)だったのに比べ、古代日本人は、日本刀のように溶けた鉄を叩いてつくる「鍛造」(たんぞう)の技術をもっていました。
鋳造の剣と、鍛造の剣で戦えば、どちらが鋭く強いかは明白です。
実際、歴史の記録をみても、5〜6世紀頃まで半島人は倭人に勝てませんでした。
しかし、継体天皇が半島南部の領土を譲ったことを遠因に、具体的には7世紀に百済復興のために、中大兄(天智天皇)が強引にすすめた白村江の戦いで、唐と新羅の唐羅連合軍(実質的には唐主導)に負けたことによって、半島への足場を完全に失ってしまいます。
そういった緊迫した極東アジア情勢のなかで、天武天皇は統一独立国家「日本」として大和の建て直しを図ります。
そのとき、千年の大計をもってバックボーンとなる『古事記』と『日本書紀』の編纂を命じました。
そこに記された「国体」は、天武の正妃・持統天皇が万難を排して孫の文武天皇を即位させたことを皮切りに定着していきます。
その後、藤原一族による公家政治の専横や天智系天皇の衰退などによって、紆余曲折は少なからずありました。
しかし、天武・持統から約1,300年後の今日、21世紀においても、天武天皇が描いた「天皇制」を維持し、皇室は世界で最も古い王室として、各国の羨望と尊敬を集めています。

One-Point ◆ なにごとにも例外はあります。その唯一の例外が、かの国々こと韓国と中国です。かつて「日本常識は世界の非常識」と竹村健一は喝破しました。今は逆の意味で「日本の常識」は、世界から驚きや賞讃をもって迎えられる「世界の非常識」になりつつあります。それを素直に認めて評価する世界各国に対して、そういった世界の常識が通用しないのが「かの国々」なのは、今や良識ある一般人の一致する見方です。



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