宝瓶星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―

連載 邪馬台国は馬臺-その12
書紀編1:『日本書紀』のレトリック
− クオリアル・シンキングで見抜く −

HOME邪馬台国は馬臺-序 > 書紀編1:『日本書紀』のレトリック

九州「倭国」を記せない『日本書紀』、当然「邪馬台国」も

●第1稿 : 2020年11月12日アップ
●改訂稿 : 2025年 6月 3日アップ


諸説ある“邪馬台国”について、かつてブログに連載した記事を15.14.13.12と大幅リライトを加えて逆順に掲載する「邪馬台国は馬臺」の4回めです。

ブログに連載した記事では最後から4番め、3世紀の九州「倭」(国)の女王の都「邪馬台国」の比定が一段落し、『日本書紀』ではどうなのか、3回にわたって確認するその初回です。

先回の書紀編2回めは「倭国と日本国(ヤマト)の合併」、先々回の書記編3回めは「神武東征の“モデル”」をお届けしました。

『日本書紀』が記せなかった北部九州連合こと「倭国」や3世紀の倭の女王の都「邪馬台国」ですが、そのヒントを探る「日本書記」編です。

支那の「魏志倭人伝」に依拠するだけではなく、日本人なら『日本書紀』も参照すべきです。

《 三数思考(クオリアル・シンキング) 》

「邪馬台国」を解明する手法は、「宝瓶星学」の「三数思考」(クオリアル・シンキング)がベストです。

旧称:宝瓶宮占星学の「伝授講座」(2012)こと「数理法則とクオリアル・ワールド」からもそういえます。

物理宇宙は、物品などのスペックでいえば“W(幅)×D(奥行)×H(高さ)”の三次元で表わせるように、三数が基本です。

さらに「基本三数」が整えば、しぜんと4数が生じるように、4つめのスペック「重量」なども必然です。

邪馬台国の所在を探るときも類似で「歴史書」だけでなく、「考古学」も必要ですし、「国内外情勢」など時代考証を視野に入れれば、見えてきます。

One-Point ◆ 邪馬台国の「所在論争」が起きるのは「魏志倭人伝」の一部のみを判断材料にするためです。すると偏った判断に陥り、邪馬台国畿内説や阿波四国説を妄想することになります。




《 妄想:「山門説」の一例 》

「邪馬台国」は“やまと”と読めると勘違いして、畿内の「大和」や、熊本との県境の福岡県南部の「山門」に比定することがあります。

畿内「大和」だと距離や方角を間違うことはありえない軍事偵察を兼ねた記録を元にした「魏志倭人伝」の記述にそぐわないので、北部九州で探して、女山(ぞやま)がある福岡県南部の「山門」が邪馬台国だと妄想したのでしょう。

「魏志倭人伝」が100%正しいわけではありませんが、そこに記される国々の位置関係から山門は当てはまりません。

あまり知られていませんが、かつての伊都国と奴国との間、現在の福岡市西区に「山門」という地名があります。

「上山門」と「下山門」なのですが、かといって「馬臺」だった“邪馬台国”を“やまと”と読むこと自体が恣意的なので、「大和」も「山門」も当てはまりません。

One-Point ◆ 「魏志倭人伝」には「邪馬台国」の南に女王国に属する「21の傍国」があったと記されています。福岡県南部の「山門」のすぐ南は、邪馬台国に敵対した「狗奴国」(くなこく)なので、21もの傍国が存在する余地がありません。



《 考古学の陥穽(かんせい) 》

クオリアル・シンキングでは、史書においても「魏志倭人伝」に留まらず、その資料となった『魏略』(逸文のみ)をはじめ、「倭国」について記される『隋書』(ずいしょ)や『旧唐書』(くとうじょ)また『新唐書』(しんとうじょ)も参考にします。

さらに、直接記されることはありませんが、プロパガンダに惑わされずに『日本書紀』を参考に考察することで、文献だけでも“邪馬台国”の位置が浮かび上がります。

ただし、それだけでは片手落ちなので、考古学による「物証」などの裏付けが欠かせません。

これまた、1か所だけではなく邪馬台国が存在した3世紀の複数の出土状況をみないと、正しいご判断はできません。

One-Point ◆ 3世紀の畿内は「石器」や「青銅器文化」がメインで、大陸は遠すぎて縄文文化が残り、「魏志倭人伝」に記されるような交流は行なわれていません。もし、行なわれていれば北部九州のように3世紀の「鉄鏃」(てつぞく)などが数多く出土しているはずです。



●魏志倭人伝には倭人の鯨面文身(刺青)が記されています。南方系海人族の特徴で内陸の畿内には少ない。


《 『日本書紀』の「邪馬台国」 》

初代「神武天皇」に始まる“統一大和”で、当初から“万世一系”の皇統が続いてきた…。

そのような「日本書紀史観」は、美しくはあるのですが、史実としてはウソです。

6世紀末〜7世紀初頭に事実上、畿内ヤマトを吸収合併(東征)し、安全な畿内に“首都機能”を遷し「大倭」(おおやまと:大和の前身)を築いた九州「倭国」のことは、『日本書紀』は1ミリたりとも記すことはできません。

ゆえに、3世紀の北部九州にあった倭の女王:卑弥呼やその都「邪馬台国」の存在もスルーしています。

ですが、できうるかぎりの史実を残そうとした案外と律儀なところのある『日本書記』は、九州からの“神武東征”という創作によっ、てシンボリックに九州「倭国」による畿内「ヤマト」(日本国)との合併を示唆しています。

ホントですよ。

One-Point ◆ 邪馬台国畿内説の学者らは『旧唐書』を偽書と言い放ちます。なぜなら、そこには「倭国伝」(九州)と「日本伝」(ヤマト)とが併記されているからです。もし、邪馬台国が畿内なら『日本書紀』に堂々と記載しているはずです。




《 『日本書紀』のレトリック 》

どのような意図や考えのもとに『日本書紀』が記されたのか、その“編纂方針”を見抜けば、容易に記述のカラクリがみえてきます。

さらに、なぜ地方の豪族らが『日本書紀』のウソの記述に表立って反発せず、自分たちの歴史を口伝や秘伝として、オモテには出さずに「和」による統一を優先したのか。

当時の国内外情勢を併せてみれば、『日本書紀』のレトリックが見えてきます。

できうるかぎり史実を残したい編纂委員会のメンバーは、やむを得ず編纂方針に従ってウソを記さなければならないときには、読者が疑問を持ち、考えて史実を推察できるように工夫しています。

One-Point ◆ 舎人親王(とねり しんのう:天武天皇の皇子)を総裁とした日本書紀編纂委員会が、後世に史実を委ねた意図は、表層の字面だけを追っても見えてきません。裏から編纂を仕切った偉大な天才藤原不比等への反発もあったのかもしれません。






【↑上に戻る】

※当ページの内容は著作権法により保護されております。無断使用はご容赦お願い申し上げます。

Copyright(C) 2005-2020-2025 Aquariun Astrology - Seiji Mitoma All rights reserved.