宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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●第1稿 2024年 1月14日 アップ。
日本古代史の事実を知りたい方も多いと存じますので、建国記念の日特別編として書いておきます。
悪い意味ではなく、7世紀につくられた「日本書紀史観」と、実際の「日本の歴史の真実」と、皆さまはどちらがお好みでしょうか?
日本書紀史観というのは、『日本書紀』の記述にのっとって、今から約2,700年ほど前の皇紀元年から万世一系の皇統で、現在の奈良を都とする統一大和政権がはじまったとする皇国史観です。
信じるのは悪いことではありませんし、タテマエとしてそう明言されておられる方も多いようですが、どう考えても古代日本の事実ではないことは明白です。
“勘違い”や“幻想”の「双魚宮時代」ということもあり、当初からの「大和」だったと考えて古代史を考察すると間違います。
一例ですが、「邪馬台国畿内説」などはカワイイもので、「邪馬台国阿波徳島説」といった噴飯物の“勘違い”を散見します。
史実からいえば、大和は阿波が起源というのは譲歩して、半分は本当、半分はウソの“事実誤認”です。
阿波が古代畿内国(大和)の起源にかかわっていたのは事実ですが、全部ではないしごく一部にすぎません。
さらには大前提として畿内国(大和)そのものが、実は「統一大和」ではなかったという驚愕の史実があります。
大和朝廷の場所は、今日の奈良で間違いはないのです。
ただし、「統一大和」の発祥は、畿内国また阿波国が無関係とまではいえませんが、6世紀末〜7世紀初頭に“国譲り神話”を地でいくような隠匿された出来事が起きています。
当初から万世一系で大和一国の歴史だったとする『日本書紀』が、絶対に明らかにできない史実です。
「九州倭国」主導の吸収合併による「統一大和」こと大倭(おおやまと)の誕生がそれで、半世紀後の「乙巳の変」(いっしのへん:645年)の遠因になっています。
統一大和の誕生によって、畿内国はもちろん阿波徳島の勢力は従属下におかれ、一部は出雲に封じられた格好です。
One-Point ◆ 「卑弥呼」を女王に共立して、平和をもたらした北部九州「倭国」の統治システムは、統一大和にも受け継がれています。この事実だけをみると、阿波徳島が“邪馬台国”かのように勘違いしてしまうのですが、古代史の流れは、そんなに単純なものではありません。
●通称「魏志倭人伝」に記された倭の女王「卑弥呼」が都とした「邪馬台国」までの行程は次のように記されています。
現在の平城とソウルの間にあった「帯方郡」(楽浪郡説もあり)から邪馬台国まで、12,000余里という里程表記は3世紀の記録です。
一方、投馬国を経て邪馬台国まで、計2か月間という日程表記は1世紀の記録と考えられます。
単位の異なる里程と日程は直列につなげて解釈するのではなく、兵站も考えて併記したものです。
ちなみに、陳寿が記した「邪馬壹国」(やまいこく)や「壹与」(いよ)は、写し間違いを装った意図的な誤表記ということが明らかです。
なぜなら、陳寿が参考にした原文の記録には「馬臺(台)」(またい)と記されているからです。
「卑弥呼」の「卑」という表記を見てもわかるとおり、東夷の蛮族だからと「邪」の字を頭に付けて「邪馬臺(国)」としたものです。
お話は少々それますが、「魏志倭人伝」は“観光旅行”の記録をベースにした歴史書ではなく、「軍事偵察記」をもとに、著作郎「陳寿」(233?-297)によって編纂されたものです。
里程や日程などの行程、さらに方角が大きく間違うことはありません。
ただし陳寿は、3世紀の倭国の記録だけでなく、1世紀の奴国の記録も参考にして「馬臺」(またい:邪馬台国)への行程を記したために、記述には若干の混乱が見られます。
それに輪をかけて、漢文のニュアンスを読みとれない日本人が読み下して邪馬台国の比定地を解釈しているために、そこかしこに混迷が生じています。
詳細は、「 古代史解明1:邪馬台国への行程ミス」をご参照ください。
結論は簡単です。
帯方郡(現ソウルの北、また平城付近の「楽浪郡」の記録もある)から邪馬台国まで計1万2,000余里と記されています。
福岡市近隣に位置したことで合意が得られている「不弥国」(ふみこく)までの記述を合計すると1万700里。
そのため、不弥国から残り1,300余里以内の場所に「邪馬台国」はあります。
One-Point ◆ 現代日本の1里=4kmではなく、当時、大陸で用いられていた「里」(短里)です。福岡市から約65kmも離れない場所に「邪馬台国」は位置していました。事実、漢文を母国語とする台湾や中国の学者研究家が原文を読んだ結果、いずれも「邪馬台国は九州」と述べています。
7世紀に編纂された『日本書紀』は、当時の正当なワケがあって、最初から万世一系の皇統で統一大和だったとして、天皇また大和朝廷による全国統治の“正統性”を主張しポイントポイントで意図的に記されています。
実際は次のとおりです。
“大国主命”(複数)とも記される東征した物部の祖「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(にぎはやひのみこと)が国づくりを行ない、畿内国にも拠点を置きます。
6世紀末になると邪馬台国の流れをくみ、鉄器や文化ともに当時の最先端だった「九州倭国」が優勢な立場で、自ら「畿内国」に吸収合併されたカタチをとることで、隋(大陸)の冊封下から離れ、独立統一国家「大和」を誕生させています。
これが“大倭”(おおやまと)です。
九州倭国と畿内国の合併ゆえで、「大和」と書いて“やまと”と読む由縁です。
しかし、合併の立役者だった「九州倭国」の蘇我本宗家は、三代目の入鹿(いるか)の時代に「乙巳の変」で滅ぼされ、新たな政権に移っていきます。
これによって、「九州倭国」の歴史は完全に抹殺され、当初からの統一大和として『日本書紀』に記録されます。
新政権はそのまま「大和」(やまと)を名乗り、『日本書紀』をプロパガンダ(政治宣伝)の書として律令制度による統一大和を形成していきます。
One-Point ◆ 阿波国の忌部氏は、藤原氏によって表舞台から遠ざけられます。そういった恨みや無念さが阿波四国には残っていて、「双魚宮時代」の終末を迎えた今日、過剰にアピールしはじめています。宝瓶宮時代は真実が明らかになっていく時代でもあるからです。
古代と現代とでは、表日本と裏日本とが逆転しています。
古代は大陸に近い日本海側がオモテ日本で先進地域でした。
とくに、フィリピン沖を通過した暖流黒潮が日本列島にぶつかる大陸に近い北部九州は、“鉄器”や“仏教”など文化の最先端でした。
「魏志倭人伝」に記される倭の女王「卑弥呼」を共立して、倭国大乱を治めた「九州倭国」です。
畿内国や四国は、舌(ぜつ)入りの銅鐸が発見された淡路島の例をみても分かるとおり、縄文系の青銅器祭祀文化圏です。
「乙巳の変」によって、九州倭国の蘇我本宗家から政権奪取に成功した一派は、そのまま仏教を受け入れつつ、縄文古来からの神道との「神仏習合」による当時の天皇祭祀と、藤原氏を筆頭とした公家政権運営を確立していきます。
といったことから、阿波徳島というのは、当時のオモテ日本(日本海側)から見ればウラ日本もウラの辺境の地にすぎません。
ただし、記紀神話に神武天皇が東征したと記されるはるか紀元前の昔、ソロモン王に依頼されたフェニキア船団は古代イスラエルとともに、鉄や宝石や珍物を求めて、諏訪から伊勢紀伊を通り四国を横断する「日本列島構造線」沿いに拠点(古来からの神社が多い)を築いてきたこともあって、その影響を色濃く受けた地域の一つになっています。
One-Point ◆ 有名なところでは、兵庫県淡路島の南端の古代イスラエルの痕跡があります。当時のフェニキアの航海術は想像以上で、冒険好きの気質も手伝って、日本国内はもとより世界各地のペトログリフ(石刻文字)などに見られるように痕跡を残しています。
さて、『日本書紀』によれば、初代神武天皇が古代大和こと畿内に東征したとき、すでに饒速日命(にぎはやひのみこと)が国を築いていて、同じ天孫系ということもあって、国を譲り受けたというお話になっています。
饒速日命は、古代海人族(海部氏)の系図に記される物部氏の祖で、物部氏には古代オリエントとの関連がうかがえます。
一方、『古事記』では、大国主命というネーミングのとおり、最初に国づくりを行ない主(あるじ)になった人物「大国主命」、また国譲りをした「大物主命」、さらに「饒速日命」は、必ずしも同一人物とはかぎりませんが、初期に国づくりを行ない国譲りをした側の代表になります。
阿波徳島も全部ではありませんが、ここにかかわり、結局、統一大和において出雲に流され祀られたカタチになっています。
同じ蘇我氏であっても、乙巳の変で滅ぼされた蘇我本宗家がある一方で、逆に本宗家を滅ぼした側の中大兄や中臣鎌子(藤原鎌足)に加担した蘇我一族の長老:蘇我倉山田石川麻呂がいるように、阿波徳島もいろいろな立場があるのです。
いずれにしても、『日本書紀』が記すような当初からの統一独立国家「大和」ではないため、阿波徳島が統一大和の起源となっていない側面は大きいのです。
One-Point ◆ 古い歴史を阿波徳島や四国は一部に持ちます。しかし、統一大和の建国に当たっては、排除された側であるために双魚宮時代の大和に恨みを残すこともあって、今日“自分たちこそ日本の起源んだ”と知らずに怨念波動を放ち、それを受けて“針小棒大”に誤った歴史解釈を喧伝することになりかねません。
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