宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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●第1稿 2023年12月23日 アップ。
「大祓詞」(おおはらえのことば)の新解釈の解説です。
時代変化が関係し、時空を超えて古代との因縁が生じたのでしょうか。
祝詞(のりと)にある枉事(まがごと)や罪(つみ)穢(けが)れまた神ではなく、宝瓶宮時代に基づいた解釈の必要性を感じました。
祝詞というのは読んで字の如く「いわいのことば」です。
『日本書紀』の天孫降臨神話に基づきますが「大祓詞」は、古い字義にとらわれず今日的な最先端解釈が可能です。
民族性を「魚宮」とし、国体を「水瓶宮」とする日本は、古代に何か宇宙の見えざる力が働いていたようです。
宝瓶宮時代のアストロロジーによる「星のディレクション」(時代変化、運勢変化)からもそういえます。
「日本の原点」を解明する連載を掲載したのもそれゆえです。
本来の「アストロロジー」は古代オリエントとの因縁が深く「日ユ同祖論」は完全な誤りですが、縄文時代から古代イスラエルやフェニキアまたヒッタイトなどの影響が数次にわたって古代日本にあったことを指摘しておきました。
今やYouTubeなどでも散見できるように通説になっています。
One-Point ◆ 古代イスラエルの第3代王で最も栄華を極めたソロモン王(BC1011頃-BC931頃)の父ダビデ王は、航海技術に優れた隣国フェニキアと懇意で、ソロモンの母親は鉄器文化を築いたヒッタイト人です。彼は鉄や珍宝を求めて「タルシシの船団」を世界に派遣しています。
『日本書紀』もそうですが、「大祓詞」また「天津祝詞」には古代オリエントの影響がみられます。
ちょうど新旧の『聖書』が神の啓示を受けて記されたといわれるように、『日本書紀』には要所にその影響がみられ、「大祓詞」も日本的宇宙観のもと古代の知見によって記され宣(の)られています。
それゆえ今日的に解釈することが可能です。
解釈の仕方で宇宙の真実に即した事実が記されているためです。
当時は、双魚宮時代の初期ゆえ「対立二元論」の影響下での言葉になっているのですが、近代の科学的な知見や宝瓶宮時代の新しい“クオリアル”な宇宙観で解釈しなおせば、宇宙の真実にのっとった内容になっていて驚かされます。
そのような新しい“言霊”の波動エネルギーで宣(の)ることが重要なのです。
One-Point ◆ 神職はいいのですが、一般人が従来の言葉の概念のまま宣ると、古い言霊によって逆効果を生むことになりかねません。脅かすつもりはありませんが、場合によっては「祝詞」(のりと、いわいのことば)ではなくなるのです。
●「天津祝詞」(あまつ のりと)を宣るか宣らないかについては見解が分かれます。
「大祓詞」(おおはらえ の ことば)自体が「天津祝詞の太祝詞事」であるとする説があるためです。
戦前の神社を管轄した内務省は、この説を採用しており、今日の神社本庁も同じ見解です。
それゆえ、前段と後段の間は何も唱えず一拍置くだけです。
一方、「天津祝詞の太祝詞事」は秘伝ゆえに、公にされなかったとする説も有力です。
さまざまな神社や神道流派の伝承からも捨てがたい説ゆえに、神社本庁以外の神道の教団の多くで、前段と後段の間に「天津祝詞」が宣られます。
また、単独でも祓い詞として宣られることがあります。
「大祓詞」も「天津祝詞」も出だしの1節はほぼ同じです。
「高天原に 神留まり坐す 皇親 神漏(魯)岐 神漏(魯)美 の命 以て」
次のように読みます。
「たかまのはらに かむづまります すめらがむつ かむろぎ かむろみ のみこと もちて」
重要な一節です。
「大祓詞」は前段と後段に分かれます。
前段の最後は「天津祝詞(あまつ のりと)の太祝詞事(ふと のりとごと)を宣(の)れ」で終わります。
後半に入る前に一呼吸を置くだけのケースと、実際に「天津祝詞」を宣る場合とがあります。
「天津祝詞」の出だしは「大祓詞」とほぼ同じで、上記の「皇親」(すめらがむつ)という言葉がないだけです。
One-Point ◆ 「天津祝詞」は次節に「皇祖神伊邪那岐命」(すめみおや かむ いざなぎのみこと)と宣られます。「皇祖神」(すめみおや)が、大祓詞の言葉の「皇親」(すめらがむつ)と混同するからでしょう。
さて、「大祓詞」も「天津祝詞」も双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)の初期の言葉で書かれています。
「対立二元倫」を歴史パラダイムとしてきた時代ゆえに、神威でもって益人(ますびと)らの“諸々の枉事、罪、穢れ”を祓い清めるというロジックです。
この点で、宝瓶宮時代にそぐいません。
「大祓詞」は当時の認識や国家観によって記されましたので、そのままの言葉で今日に宣るのは逆効果です。
“神”や“罪”また“禊祓い”といった「対立二元論」の概念を、「共鳴関係論」によって再解釈すれば今日的な「祝詞」になります。
One-Point ◆ 宇宙の理(ことわり)に基づいて解釈しなおさなければなりません。そういたしますと「祝詞」(いわいのことば)と呼ばれているとおり、未来につながる希望の言霊になります。逆に今日、双魚宮時代のままの意味で宣ると「祝詞」にならないのです。
最後に、要点を挙げておきます。
「過ち 犯しけむ 種種の罪事は 天津罪 国津罪 許々太久の罪 出む」
読みは「あやまち おかしけむ くさぐさのつみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみ いでむ」です。
ゆえに「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」というのが前段です。
これをそのままとらえて“許々太久の罪”(さまざまな罪)と解釈すると、新時代の波動に合いません。
本来は罪がなくても“罪”というものを強力に認めたうえで、「祓い給え 清め給え」と請い願う状態に自らの“魂”を置いてしまうことになるためです。
古い双魚宮時代の罪のレベルに、自分自身を下げることになりかねませんので、かえって暗い気持ちになる“呪い詞”になりかねません。
One-Point ◆ 罪概念のない古代日本の大自然の「八百万の神」と、明治以降、西洋の一神教や神話の人格神といった西洋的神観が入ってきてからの今日とでは、神という概念からして異なります。出だしの大前提にもかかわり、両者を同一視はできない解釈の最重要ポイントの一つです。
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