宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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●第1稿 2024年 6月30日 アップ。
「万世一系」は現代に続き、日本の“国体”に連なるバックボーンです。
“イデア”はともかく、「万世一系」が実際に確立したのは、第41代天皇と記される「持統天皇」のご譲位によってです。
697年のことで、『日本書紀』が完成する23年前のことでした。
初めて天皇号を用いた夫「天武天皇」の“千年のちまでも二度と皇位争いを起こさない”という遺志を受け継ぎ、直系の男子に皇統をつなぐために持統天皇は、女性天皇として即位され、万難を排して孫に皇位を譲りました。
そのため、天武の皇子:舎人親王(とねり しんのう)が総裁を務め、腹心藤原不比等(ふじわら の ふひと)の天才的知恵によって編纂されたのが『日本書紀』です。
●【イデア】 “イデア”については、いくつかの解釈があります。
私的な解釈を述べますと、あらゆるものの「本質」は世の中にはなく、“イデア”の世界、いうなれば人の脳内や心の中、つまりは意識や想いまた観念的なものだとしたのがプラトンの説。
その点では、“イデア”は「本質」の在り処となるものの、世の中の事実ではなく、意識や想いや観念が「本質」ということになります。
極論すれば、世の本質は“イデア界”すなわち想いの世界にあるということになりますが、プラトンさん、あっていますか?
明治新政府が、大政奉還によって天皇を新たに中心とする国体の護持のため、『日本書紀』に基づいて“初代神武天皇からの万世一系”をうたう「皇国史観」を国策としました。
そこで明治になって、初代神武天皇がご即位されたとされる地に「橿原神宮」が創建(1890年:明治23年)されたのです。
さらにいえば、江戸末期まで神道祭祀による天皇ではなく、古来からの神仏習合によって、仏教儀式をメインとした「院号」によるご即位だった史実があります。
現代人は、誤りとは言えませんが明治新政府による「皇国史観」の影響を色濃く受けて、初代神武天皇にはじまる「万世一系」だと固く思い込まされています。
日本人のアイデンティティーとしては美しく、重要なのですが、史実としては似て非なる作話(さくわ)です。
ただし、日本の“天運”は驚くべきことに「宇宙創成プロセス」に基づくもので、『日本書紀』の編纂は「宝瓶星学」がベースとする「基本三数」(クオリアル・メソッド)を伴ない、天意が働いたものになっています。
『日本書紀』が持統天皇の譲位で終わっているのも、今日に続く「万世一系」が無事スタートできたためです。
One-Point ◆ 『日本書紀』編纂の意図をよくよく腑に落とさなければ、古代史をひもとき語るに値しません。ましてや、明治以降に書き改められた『正統竹内文書』の記述によって、古代史を推論すると、当時流行ったSF(Science Fiction)による古代史解明になります。
謎解きをします。
“天照大御神”よろしく第41代「持統天皇」(645-703)から、天孫降臨された“瓊瓊杵尊”(ににぎの みこと)よろしく、孫の第42代「文武天皇」(683-707)への譲位で『日本書紀』は終わります。
『日本書紀』編纂の目的が、そこにあったためです。
『日本書紀』の編纂を命じた第40代「天武天皇」の妃「持統天皇」は、国家千年の計をもって直系男子による「万世一系」を実現するために命がけで万難を排します。
ちなみに、『古事記』は、事績は記されませんが、まるで付け足されたように「推古女帝」(554-628)で終わっています。
「豊御食炊屋姫尊」(とよ みけ かしきやひめ の みこと)こと“推古女帝”は、『日本書紀』では第33代天皇と記され、初の女性天皇として知られています。
One-Point ◆ 『古事記』が推古女帝で終わり、『日本書紀』が持統天皇の譲位で終わっていることには深い理由があります。作話された「皇国史観」また「日本書紀史観」が強くインプリンティングされている方には信じられない理由があります。
答えを書きます。
日本古代史のメインは、大陸に近い北部九州の「倭国」でした。
古代オリエントとの関係では、四国阿波もその一つになりますが、阿波国は7世紀以降の皇統との関係は希薄です。
大陸の正史の一つ『隋書』に「日本国」と記される「畿内国」と、九州「倭国」との合併によって、7世紀初頭に誕生したのが統一「大倭」(おおやまと)です。
九州倭国王「阿毎多利思北孤」(あめ の たりしひこ)は、自ら九州「倭国」を“弟”の「畿内国」に吸収合併させるカタチで、隋の冊封下から離れ独立を果たします。
高句麗との戦争の真っ最中で、隋が動けないことを見越した見事な外交戦略で、架空の“聖徳太子”などの功績ではありません。
合併後の大倭は、『日本書紀』でいう蘇我氏が大王家となり、馬子(うまこ)、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)と三代続きますが、三代目になると英知も王道も失われ“ボンクラ”同然で(失礼!)、結局「乙巳の変」(いっし の へん:645)で滅ぼされます。
史実は、倭国と畿内国の合併にあたって、蘇我氏が傀儡として立てた女王が推古女帝です。
2世紀に北部九州で起きた「倭国大乱」は、女王卑弥呼を共立したことによって平和をとりもどし終息します。
その故事に由来し、合併を平和裏に進めるために立てられたのが推古女帝(女王)で、九州倭国と畿内日本国の統一を果たし、今日の日本の礎を築いた蘇我馬子です。
One-Point ◆ 合併前、九州倭国はすでに「冠位12階」を採用していました。合併後は馬子によって統一大倭(大和)にも適用されます。推古女帝の時代に摂政制度はなく、『日本書紀』に“聖徳太子を摂政にした”と記されるのは、蘇我氏の偉大な業績を架空の人物にすり替えて糊塗するための創作です。
●『日本書紀』は、神武東征の当初からの統一独立国家「大和」(日本)として記されます。
史実としては、少し調べれば分かることですが、まったくそんなことはありえません。
結局、最初からの独立統一国家「大和」とするために、古代の国家や人物は抹殺されたり、名前を変えられて付属的に記されます。
当然、九州「倭国」の存在は残せません。
初期の国づくりに関与した瀬織津姫(せおりつひめ)なども同様です。
北部九州にあった「邪馬台国」も女王「卑弥呼」も同様です。
ほかにも、古代に国づくりを行なっていた畿内「出雲国」や四国「阿波国」なども同様で、『日本書紀』が抹殺した当初からの古代国です。
結局、7世紀以降、現在に続く天皇のルーツを阿波国とするのは間違いです。
古代オリエントに関わる古い国づくりの歴史は持つものの、それゆえ7世紀以降の天皇政権からは抹殺された“怨恨”が今日に残り、“邪馬台国は阿波”や“天皇家のルーツ”などと、われ知らず主張させられているようです。
次に『日本書紀』が持統天皇の譲位で終わっている最大の理由です。
孫の「文武天皇」への譲位によって、男系男子による「万世一系」をスタートすることに成功したためです。
古代日本を二分して同胞が殺し合った皇位争いを二度と起こさず、国内の平和を保つために天武天皇と持統天皇の使命また悲願が、男系男子による「万世一系」の皇位継承でした。
それが『日本書紀』編纂の意図であり、アストロロジカルにみても「万世一系」なくして日本の天運も国体も日本人のアイデンティティーも成り立ちません。
珂瑠皇子(かる の みこ)こと「文武天皇」は、14〜15歳で持統天皇のご譲位により即位され、わずか24〜25歳で崩御されています。
草壁皇子(くさかべ の みこ)は、「天武天皇」と「持統天皇」の日嗣の御子(ひつぎ の みこ:皇子)で、即位されることなく早世したため、孫の珂瑠皇子へ皇統をつなぐために持統天皇自らがご即位され、直系男子への皇位継承に命がけでとりくんだものです。
即位後、「文武天皇」(珂瑠皇子)は若くして崩御されますが、国風諡号(しごう)を「倭根子豊祖父天皇」(やまと ねこ とよおほぢの すめらみこと)と申し上げます。
万世一系の「祖」という意味です。
One-Point ◆ これらのことを腑に落とせば、真実の古代史が見えてきます。逆に分からなければ、『日本書紀』を単なる歴史書ととらえ、記されているままに古代史の謎解きをして、推論に推論を重ねた勘違いや辻褄合わせをすることになります。
アバウトで触れておきます。
持統天皇の父「天智大王」(626-672)系か、夫「天武天皇」(?-686)系かを問わず、これ以降の皇統は事実上の「万世一系」です。
それ以前は、各地の豪族の王たちを“皇統”かのように装い「万世一系」を作話したのが『日本書紀』です。
それによって各地の有力な豪族たちは、自分たちの王が“天皇”だったと錯誤し、結果、天皇の忠臣となり盤石な独立統一国家「大和」が築かれています。
藤原不比等の知恵、畏るべしです。
実際は、少なくとも第10代「崇神天皇」、第15代「応神天皇」、第26代「継体天皇」、第33代「推古天皇」の御世が、『日本書紀』によって“皇統”として繋げられています。
『古事記』も後年、これに準じて改変され、両書に記されているために信じざるをえないという秀逸さです。
それが悪いということではありません。
当時の国内外情勢のもと、日本国の維持と天運保持のため、最優先で必要だったものです。
One-Point ◆ 天武天皇が即位(672)された当時の「大倭」(大和)は、白村江の戦い(663)や壬申の乱(672)によって、国内が充分にまとまっておらず、緊迫する大陸や半島情勢のなか、早急に独立統一国家「大和」を築く必要がありました。
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