宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―
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●第1稿 2024年 7月19日 アップ。
「その山には丹あり」(原文「其山有丹」:通称「魏志倭人伝」こと『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条)。
全国に「丹生」という地名が見られるように、縄文時代からそうですが、「邪馬台国」の弥生時代も北海道から九州まで各地で「丹」が採れました。
ところが、もう20年近く前ですが、ある歴史バラエティー番組で当時は高校教諭だった阿波の古代史研究家が語ったのです。
“邪馬台国の時代の水銀鉱山跡は阿波の若杉山(遺跡)しかなかった”。
ウソを述べた理由は何であれ、後年、彼は忌部文化研究会会長を務めますが、信じられない作話です。
ことの顛末は次のとおりです。
日本に古代イスラエルの影響が色濃く残っていることなどを掘り起こして盛んに取り上げた「みのもんたの日本ミステリー」という2008-2009年にオンエアされたテレビ番組でのことです。
歴史番組というよりも、ウソかマコトか分からない半信半疑のミステリーを興味深く俎上に載せて、視聴率を稼ぐ「バラエティー番組」です。
その中での「Mystery File 20」。
“邪馬台国”の所在がテーマで、魏志倭人伝に記された「その山には丹あり」というコーナーでのことです。
One-Point ◆ 「魏志倭人伝」には次のように記されています。「真珠、青玉を出だす。その山には丹あり、その木にはクス、トチ、ボケ、クヌギ、カシ、ヤマグミ、カエデがある」(一部を省略し日本名を推定しています)。
では“面白ければ何でもあり”と見紛う視聴率稼ぎの「バラエティー番組」ではなく、学術的な根拠を伴なった展示会の案内文ではどうでしょうか。
「日本古代の赤い顔料には朱・丹・鉛丹の3種類がある。
このうち朱は大分県丹生の他、日本に7か所ある水銀鉱床でとれ、丹は日本全土でとれる天然資源であるため、縄文時代から日本各地で利用された」
福岡市博物館のアーカイブス「赤-非日常の色」展の「朱(水銀朱・辰砂)と丹」の項目に掲載された一文です。
「日本ミステリー」に出演した高校教諭(当時)の古代史研究家が得意げに語った「邪馬台国時代の水銀朱は、阿南市(徳島県)の若杉山遺跡が唯一」は、朱や丹の産地や硫黄同位体分析などを研究した複数の学術資料からみても、“真っ赤なウソ”です。
問題は、この言葉を信じ、根拠の一つに“邪馬台国阿波説”を語り、ご自身で調べもせずに主張している人がいることです。
One-Point ◆ 談、「邪馬台国時代の水銀鉱山跡というのはですね、阿南市の若杉山遺跡ですね。それが唯一見つかっている遺跡なんですね。ほかのところでは見つかっていない」。テレビの演出で言わされたとしても、これはアウトです。
●『旧約聖書』(ユダヤ教の正典)に記されているモーセの十戒が刻まれたという「石板」を収めた箱を「アーク」といいます。
『新約聖書』(キリスト教)では「契約の箱」と呼ばれています。
本来は、モーセの跡を継いでイスラエルの民を導いた「アロンの杖」と、荒野で神が与えてくれた食料「マナの壺」が収められていたようです。
いわゆる移動式ご神体で、2本の担ぎ棒や天使の羽の飾りがついています。
日本でいう御輿のような形を想起していただければいいでしょう。
特定的に“ソロモンの秘宝”と呼ばれることがありますが、ソロモンより千年ほども前のモーセの時代の発祥です。
剣山(徳島県美馬市)に、広義での“ソロモンの秘宝”はともかく「アーク」(契約の箱)が隠されているとか、邪馬台国は阿波だったとか、“火”のないところに煙は立たないと言いますが、なぜかプラス・アルファの妄想をたくましくされる方が多いんですよね。
論理的かつ歴史的にみて、「アーク」は日本にはありません。
「北イスラエル王国」を築いた「イスラエル10支族」の一部が、アッシリア捕囚後に“こつぜん”と消えて、その子孫の一部が日本に来ているのは事実でしょうが、彼らは「アーク」を所有していなかったからです。
なぜなら、アークは当時、篤信的な残りの2支族(ユダ族、ラビ族)が築いた「南ユダ王国」のエルサレム神殿に安置されていたからです。
後年、南ユダ王国も滅んだとき、バビロニアの没収品リストの中に「アーク」がなかったため、エルサレム神殿が破壊される直前に、考えられるルートは東のバビロニアや西のエジプト方面を避けて、南のシナイ半島方面に持ちだされ、結局「エピオピア」に渡った可能性が高いといえます。
One-Point ◆ エチオピア(正教会)は「アーク」は我が国が保持していると主張しています。実は、伝承上ながら、エチオピアの国家の起源は紀元前10世紀のソロモン王とシバの女王との子メネリク1世とされているためです。
●諡号には、その天皇のご由緒など意味があります。
「豊」(とよ)の文字がつく天皇は次のとおりです。
第31代 用明天皇…橘豊日天皇
第33代 推古天皇…豊御食炊屋姫天皇
↑ [統一大倭のはじまりの女帝]
第35代 皇極天皇…天豊財重日足姫天皇
第36代 孝徳天皇…天万豊日天皇
第42代 文武天皇…倭根子豊祖父天皇
↑ [実質の万世一系のはじまりの天皇]
第43代 元明天皇…日本根子天津御代豊国成姫天皇
九州倭国と畿内国(日本国)が合併し、大倭(おおやまと:のちの大和)が7世紀初頭に誕生し、奈辺の天皇から「豊」の文字が見られます。
『日本書紀』が明かすことはありませんが、九州倭国に所縁を持つ天皇で、なぜなら「台与」(とよ:豊)を二代目女王とする邪馬台国は九州倭国の古の都だったからです。
それゆえ、称徳天皇は後継天皇を誰にするか“豊の国”の宇佐神宮にご神託を伺ったものです。
一方、天智系天皇に「豊」の文字が付く天皇は一人もいません。
ちなみに、天武系天皇が称徳天皇で終わると、天智天皇の第7王子:志貴皇子(追尊:春日宮御宇天皇)を御祖(みおや)とする皇統が続きます。
アークだけでなく、“邪馬台国”に関しても妄想が多いのです。
邪馬台国(馬臺:またい)ではなく、陳寿が魏志倭人伝に意図的に文字を変えて記した“邪馬壹国”(やまいこく)が正しいと思い込んでいる人がいます。
ゆえに、邪馬台国の二代目女王は「台与」(とよ)ではなく、“邪馬壹国”だから“壹与”(いよ)であると…。
四国の伊予(いよ)が関係しているというとんでもはっぷんの妄想です。
それならば、歴代天皇の国風諡号(和風諡号)に「豊」(とよ)の字が多くみられるのはどう説明するのでしょうか。
「台与」は音をあらわした当て字です。
現在の福岡県東部「豊前」と大分県「豊後」すなわち「豊(とよ)の国」の宇佐市に8世紀の称徳天皇が、次の天皇を誰にすればよいか“ご神託”をうかがった「宇佐神宮」(大分県)があります。
万世一系となった7世紀以降の天皇と歴史的に縁が深いゆえに「豊」の文字が国風諡号に用いられています。
ところが、6世紀以前の通称「ヤマト王権」(カタカナ)や古代に阿波がかかわっていたのは事実ですが、今日に続く7世紀以降の「大和」(漢字)の天皇と阿波は麁服(あらたえ)を除いてさほどではありません。
なぜなら、天皇を傀儡として権力をふるった藤原氏が、関係のうすい阿波忌部氏を排斥したからです。
One-Point ◆ 一方で、邪馬台国を抱く九州倭国の歴史と存在も完全に抹殺されます。当時の国内外情勢に対応するために“初代神武天皇”からの独立統一国家「大和」だったと、天皇の正統性を『日本書紀』によってしろしめす必要があったためです。
●養子に入ったと自称する竹内巨麿(きよまろ)が、昭和3年に公開した「竹内文書」は、国に取り上げられ返却されることなく戦争で焼失します。
その後、つくり直されたのがSF小説まがいの「竹内文書」です。
近代の用語があったり、150億年以上前に宇宙が出来たとき、宇宙人が地球に来たなど荒唐無稽なお話が記されます。
「へぇー太陽系ができて50億年ですが、その前から地球があったんだ」と“感心”してしまいます。
第一、『日本書紀』に記されている武内宿祢の子孫「平群氏」に連なる?
独自の歴史を描くのに、なぜフィクションも多い『日本書紀』に典拠を求め、権威づけを図るの?
『日本書紀』に依拠しながら、創作された“神武天皇”以前に“ウガヤフキアエズ王朝”があったなど、やってることと言っていることが支離滅裂なんですけど…。
シロウト集団による明治新政府が、近代日本を築くために天皇を中心にした「国体」のバックボーンとしたのが「皇国史観」です。
『日本書紀』がベースになっています。
日本書紀史観を信じるのは美しく自由ですが、それでもって「史実」を考察すると間違います。
7世紀以降の独立統一国家「大和」を“和”をもって築くためのプロパガンダ(政治宣伝)の書が『日本書紀』だからです。
それは、宇宙的な“天意”だったので仕方がありません。
ゆえに、そこに“天運”が働き、今日も信奉されて皇統は続いてきました。
また、当時の豪族らも国内外の状況を鑑みて、争うことなく平和的に協力し、統一国家を築いていきます。
ただ、『日本書紀』の記述は、自分たち豪族の古代史とは異なる部分が多々あるために、全部が正しいとはかぎりませんが、『先代旧事本紀』に代表される古史古伝が密かに記され、当時は秘匿されて残されることになります。
また、近年書き改められたSFまがいの「竹内文書」もそうですが、家族にさえ口外秘とされた「出雲口伝」など、事実の一端はあるものの、一般的にみれば真実とはなりえない視点で残されています。
One-Point ◆ 今日のSNSのように、多くの人の目に触れ残されていく時代ではないのです。そんな中で『日本書紀』の記述には国家観があり、まだマシなほうです。豪族の家伝や古史古伝にはそれがなく、目新しく面白く“ネタ”にはなっても史実としては信ぴょう性に欠けますのでご注意が必要です。
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